例えば折伏に行く時、しっかりとお題目をとなえていくのです。
お題目をしっかりと唱えて折伏に行けば、その広大無辺なる功徳によって、きちんと邪義を破折することができるのです。ところが、お題目が足りないと、一つ間違えると魔に負けてしまうことがあります。
負けなくとも、折伏が成就(じょうじゅ)できないことがあるのです。だから、お題目をしっかり唱えていくことによって、大聖人様の正しい教えが身に付いて、勇気となって相手の邪義をはっきりと破折し、折伏することができるのです。この辺のところを、私達はしっかりと考えていかなければならないと思います。(中略)
私達の信心は、
「自行計(じぎょうばか)りにして唱へてさて止(や)みぬ」(教行証御書 一五九四頁)
というような、自行だけではだめです。やはり自行化他にわたる信心、これが一番大事なのです。
ですから、一生懸命にお題目を唱えること、そして、そのお題目の功徳と歓喜(かんき)をもって打って出ること、この自行と化他をしっかりと行じていくところに、私達の一生成仏があるのです。
(大白法 七月度 法華講夏期講習会の砌)
お題目をしっかりと唱えて折伏に行けば、その広大無辺なる功徳によって、きちんと邪義を破折することができるのです。ところが、お題目が足りないと、一つ間違えると魔に負けてしまうことがあります。
負けなくとも、折伏が成就(じょうじゅ)できないことがあるのです。だから、お題目をしっかり唱えていくことによって、大聖人様の正しい教えが身に付いて、勇気となって相手の邪義をはっきりと破折し、折伏することができるのです。この辺のところを、私達はしっかりと考えていかなければならないと思います。(中略)
私達の信心は、
「自行計(じぎょうばか)りにして唱へてさて止(や)みぬ」(教行証御書 一五九四頁)
というような、自行だけではだめです。やはり自行化他にわたる信心、これが一番大事なのです。
ですから、一生懸命にお題目を唱えること、そして、そのお題目の功徳と歓喜(かんき)をもって打って出ること、この自行と化他をしっかりと行じていくところに、私達の一生成仏があるのです。
(大白法 七月度 法華講夏期講習会の砌)