「破邪顕正(はじゃけんしょう)」という言葉があります。
邪を破折するところに正を立てることができるのでありまして、正を立てるだけではだめなのです。
今日、あらゆる間違った宗教がはびこっていますが、その間違った宗教を、私達が破折しなければ意味がないのです。これが、法華講員たる者の大事な務めであります。(中略)
『顕謗法抄(けんほうぼうしょう)』には、
「五逆罪(ごぎゃくざい)より外の罪によりて無間地獄(むげんじごく)に堕(お)ちんことあるべしや。答へて云はく、誹謗正法(ひぼうしょうぼう)の重罪(じゅうざい)なり。問(と)うて云はく、証文如何(しょうもんいかん)。答へて云はく、法華経第二に云はく「若(も)し人信ぜずして此の経を毀謗(きぼう)せば乃至其の人命終(みょうじゅう)して阿鼻獄(あびごく)に入らん」等云云。此の文に謗法は阿鼻地獄の業(ごう)と見へたり。」(御書 二七九㌻)
と、厳しく謗法を破折しておられます。だから私達の信心には、謗法がかけら一つあってもだめなのです。
まさに「うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し」であります。
謗法、恐るべしで、この謗法を破折するところに、我々の折伏の本意(ほんい)があるのです。このことを忘れて、
「こっちの水は甘いぞ」
というような折伏をしていたとしたら、それは間違いです。あくまでも謗法を破折しなければならない、これが
「破邪顕正」という意味であります。
(大白法 春季総登山の砌)
邪を破折するところに正を立てることができるのでありまして、正を立てるだけではだめなのです。
今日、あらゆる間違った宗教がはびこっていますが、その間違った宗教を、私達が破折しなければ意味がないのです。これが、法華講員たる者の大事な務めであります。(中略)
『顕謗法抄(けんほうぼうしょう)』には、
「五逆罪(ごぎゃくざい)より外の罪によりて無間地獄(むげんじごく)に堕(お)ちんことあるべしや。答へて云はく、誹謗正法(ひぼうしょうぼう)の重罪(じゅうざい)なり。問(と)うて云はく、証文如何(しょうもんいかん)。答へて云はく、法華経第二に云はく「若(も)し人信ぜずして此の経を毀謗(きぼう)せば乃至其の人命終(みょうじゅう)して阿鼻獄(あびごく)に入らん」等云云。此の文に謗法は阿鼻地獄の業(ごう)と見へたり。」(御書 二七九㌻)
と、厳しく謗法を破折しておられます。だから私達の信心には、謗法がかけら一つあってもだめなのです。
まさに「うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し」であります。
謗法、恐るべしで、この謗法を破折するところに、我々の折伏の本意(ほんい)があるのです。このことを忘れて、
「こっちの水は甘いぞ」
というような折伏をしていたとしたら、それは間違いです。あくまでも謗法を破折しなければならない、これが
「破邪顕正」という意味であります。
(大白法 春季総登山の砌)