大聖人様は『如説修行抄』に、
「正像二千年は小乗・権大乗の流布の時なり。末法の始めの五百歳には純円一実の法華経のみ広宣流布の時なり。此の時は闘諍堅固(とうじょうけんご)・白法隠没(びゃくほうおんもつ)の時と定めて権実雑乱(ぎんじつぞうらん)の砌なり。
敵有る時は刀杖弓箭(ごうじょうきゅうせん)を持つべし、敵無き時は弓箭兵杖(ひょうじょう)なにかせん。今の時は権教即実教の敵と成る。一乗流布の代の時は権教有って敵と成る。まぎらはしくば実教より之を責むべし。是を摂折(しょうしゃく)の修行の中には法華折伏と申すなり」
(御書 六七二ページ)
と仰せられています。
まさしく今、末法は「純円一実の法華経」しなわち、法華本門寿量品文底秘沈の大法たる妙法蓮華経のみが広宣流布すべき時であり、かくの如き時は、正法流布の妨(さまた)げとなり、敵となる邪義に対しては、ただ折伏をもってこれを破折しなければならないのであります。これが、
「法華折伏破権門理(法華は折伏して権門の理を破す)」
(学林版玄義会本下 五〇二ページ)
と説かれる法華経の精神であり、御本仏大聖人様より我らに与えられた大事な使命であります。
と同時に、広布の戦いにおいて最も大切なことは、異体同心の団結であります。
大聖人様は、『生死一大事血脈抄』に、
「総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此(じたひし)の心なく、水魚の思ひを成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱へ奉る処を、生死一大事の血脈とは云ふなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり。若し然らば広宣流布の大願も叶ふべき者か。剰(あまつさ)へ日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば、例せば城者として城を破るが如し」
(御書 五一四ページ)
と仰せであります。
私どもは、一人ひとりがこの御聖訓を拝し、一人でも多くの人々の幸せと全世界の真の平和実現を願って、遠くは一天広布を
目指し、近くは平成三十三年・宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年、法華講員八十万人体勢構築のあめ、いかなる諸魔が我らの行く手を阻もうが、朗々と題目を唱え、異体同心の団結と真の勇気をもって、勇猛果敢に折伏を行じていくことが今、最も大事であります。
(第五回 法華講中等部・高等部大会の砌 平成二十八年七月三十一日 )
「正像二千年は小乗・権大乗の流布の時なり。末法の始めの五百歳には純円一実の法華経のみ広宣流布の時なり。此の時は闘諍堅固(とうじょうけんご)・白法隠没(びゃくほうおんもつ)の時と定めて権実雑乱(ぎんじつぞうらん)の砌なり。
敵有る時は刀杖弓箭(ごうじょうきゅうせん)を持つべし、敵無き時は弓箭兵杖(ひょうじょう)なにかせん。今の時は権教即実教の敵と成る。一乗流布の代の時は権教有って敵と成る。まぎらはしくば実教より之を責むべし。是を摂折(しょうしゃく)の修行の中には法華折伏と申すなり」
(御書 六七二ページ)
と仰せられています。
まさしく今、末法は「純円一実の法華経」しなわち、法華本門寿量品文底秘沈の大法たる妙法蓮華経のみが広宣流布すべき時であり、かくの如き時は、正法流布の妨(さまた)げとなり、敵となる邪義に対しては、ただ折伏をもってこれを破折しなければならないのであります。これが、
「法華折伏破権門理(法華は折伏して権門の理を破す)」
(学林版玄義会本下 五〇二ページ)
と説かれる法華経の精神であり、御本仏大聖人様より我らに与えられた大事な使命であります。
と同時に、広布の戦いにおいて最も大切なことは、異体同心の団結であります。
大聖人様は、『生死一大事血脈抄』に、
「総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此(じたひし)の心なく、水魚の思ひを成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱へ奉る処を、生死一大事の血脈とは云ふなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり。若し然らば広宣流布の大願も叶ふべき者か。剰(あまつさ)へ日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば、例せば城者として城を破るが如し」
(御書 五一四ページ)
と仰せであります。
私どもは、一人ひとりがこの御聖訓を拝し、一人でも多くの人々の幸せと全世界の真の平和実現を願って、遠くは一天広布を
目指し、近くは平成三十三年・宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年、法華講員八十万人体勢構築のあめ、いかなる諸魔が我らの行く手を阻もうが、朗々と題目を唱え、異体同心の団結と真の勇気をもって、勇猛果敢に折伏を行じていくことが今、最も大事であります。
(第五回 法華講中等部・高等部大会の砌 平成二十八年七月三十一日 )