大聖人様が、念仏(ねんぶつ)に対しては無間地獄(むげんじごく)に堕(お)つると言い、あるいは禅宗(ぜんしゅう)や真言宗(しんごんしゅう)に対しては誤りの教えであると厳しく断(だん)じているのは、一見(いっけん)すると強言(ごんげん)のようではありますが、実には相手を救い、幸せの境界(きょうがい)に導くための慈悲(じひ)の言動であって、これこそ、真実の言葉、相手を思う優しさを持った言葉であると仰せられているのであります。まさに、折伏は相手の幸せを願う慈悲行(じひぎょう)であります。
もちろん、私どもが折伏を行じていけば、あらゆる障魔(しょうま)が競(きそ)い起きることは必定(ひつじょう)であります。
しかし、たとえいかなる障魔や困難が競(きそ)い来ても、一閻浮提(いちえんぶだい)第一の御本尊を信じている我々は、
「持(たも)たるゝ法だに第一ならば、持(たも)つ人随(ひとしたが)って第一なるべし」(御書二八九頁)
との御金言を拝信(はいしん)し、泰然(たいぜん)として、確信を持って困難に立ち向かっていくことが、解決への最善の道であることを知るべきであります。
(大白法 四月度 広布唱題会の砌)
もちろん、私どもが折伏を行じていけば、あらゆる障魔(しょうま)が競(きそ)い起きることは必定(ひつじょう)であります。
しかし、たとえいかなる障魔や困難が競(きそ)い来ても、一閻浮提(いちえんぶだい)第一の御本尊を信じている我々は、
「持(たも)たるゝ法だに第一ならば、持(たも)つ人随(ひとしたが)って第一なるべし」(御書二八九頁)
との御金言を拝信(はいしん)し、泰然(たいぜん)として、確信を持って困難に立ち向かっていくことが、解決への最善の道であることを知るべきであります。
(大白法 四月度 広布唱題会の砌)