雑宝蔵経のなかに、「七種施の因縁」という話があります。すなわち、
「仏説きたもうに七種施あり、財物を損せずして大果報を獲(え)ん。眼(げん)施・和顔悦色(わげんえつじき)施・言辞施・身施・心施・床座(しょうざ)施・房舎(ぼうしゃ)施なり」(取意)
と説かれていますが、これは無財の七施としてよく知られている話で、私達が折伏をする時、あるいは信徒をはじめ、多くの人と接して大聖人様の話をする時に役立つことではなかろうかと思いますので、お話しいたします。
七種施とは無財、すなわち物を施(ほどこ)すわけではなく、いわば、我々の態度によって大果報を得ることができるということです。
この七種施の一番目の眼施について、雑宝蔵経には、
「好眼を以て父母、師長、沙門、婆羅門を視るに、悪眼を以てせず」
と説かれています。つまり「目は口ほどに物を言う」と俗にも言うように、優しいまなざしで人に接することが大事であるということです。
二番目の和顔悦色施とは、いつもにこやかであること、つまり我々の寛容さを表しております。
無量寿経には「和顔愛語」という言葉もありますが、笑顔と優しい言葉で人に接することの大事が説かれているのであります。
三番目の言辞施は、優しい言葉で人に接せよということです。法華経方便品のなかにも、
「言辞柔軟(じゅうなん) 悦可(えつか)衆心」
と示されていますが、これは仏様の徳を述べたもので、優しい言葉で多くの人を喜ばせるという意味であります。
つまり、複雑な人間社会にあって、我々の発する言葉の持つ意味というのは非常に重たいわけでありますから、このことをしっかり心掛けていくことが必要であります。
(大日蓮八百四十六号 富士学林研究科開校式の砌)
「仏説きたもうに七種施あり、財物を損せずして大果報を獲(え)ん。眼(げん)施・和顔悦色(わげんえつじき)施・言辞施・身施・心施・床座(しょうざ)施・房舎(ぼうしゃ)施なり」(取意)
と説かれていますが、これは無財の七施としてよく知られている話で、私達が折伏をする時、あるいは信徒をはじめ、多くの人と接して大聖人様の話をする時に役立つことではなかろうかと思いますので、お話しいたします。
七種施とは無財、すなわち物を施(ほどこ)すわけではなく、いわば、我々の態度によって大果報を得ることができるということです。
この七種施の一番目の眼施について、雑宝蔵経には、
「好眼を以て父母、師長、沙門、婆羅門を視るに、悪眼を以てせず」
と説かれています。つまり「目は口ほどに物を言う」と俗にも言うように、優しいまなざしで人に接することが大事であるということです。
二番目の和顔悦色施とは、いつもにこやかであること、つまり我々の寛容さを表しております。
無量寿経には「和顔愛語」という言葉もありますが、笑顔と優しい言葉で人に接することの大事が説かれているのであります。
三番目の言辞施は、優しい言葉で人に接せよということです。法華経方便品のなかにも、
「言辞柔軟(じゅうなん) 悦可(えつか)衆心」
と示されていますが、これは仏様の徳を述べたもので、優しい言葉で多くの人を喜ばせるという意味であります。
つまり、複雑な人間社会にあって、我々の発する言葉の持つ意味というのは非常に重たいわけでありますから、このことをしっかり心掛けていくことが必要であります。
(大日蓮八百四十六号 富士学林研究科開校式の砌)