自分自身を取り巻く人々のなかには、学校や職場での仲間や先輩・後輩、なかでも親友と言われる人、様々な恩恵(おんけい)を受けた人、お世話になった人、苦楽を共にして歩んできた人、身近なところでは両親・兄弟・子供・親類縁者(しんるいえんじゃ)、色々な人がいると思いますが、そのなかで未入信の人がいたら、そして、その人の真の幸せを願うならば、何を差し置いても折伏すべきであります。
もし、家族のなかで未入信の人がいれば御受戒を受けさせ、一家和楽(いっかわらく)の信心に住(じゅう)すべきであります。相手との人間関係がこわれることを恐(おそ)れて折伏もせず、表面のみ親しくするのは、まさに
「慈無(じな)くして詐(いつわ)り親(した)しむ」、
慈悲(じひ)の心もなく詐り親しむ偽善的(ぎぜんてき)行為であり「彼(かれ)が怨(あだ)」であります。
この失(とが)を逃れるためには、不幸と混乱と苦悩の原因がすべて邪義邪宗(じゃぎじゃしゅう)の害毒(がいどく)にあり、謗法を捨てて正法に帰(き)することが幸せになるための最善の方途(ほうと)であることをはっきりと伝え、躊躇(ちゅうちょ)せず折伏を実践すべきであります。
(平成二十二年八月広布唱題会の砌)
もし、家族のなかで未入信の人がいれば御受戒を受けさせ、一家和楽(いっかわらく)の信心に住(じゅう)すべきであります。相手との人間関係がこわれることを恐(おそ)れて折伏もせず、表面のみ親しくするのは、まさに
「慈無(じな)くして詐(いつわ)り親(した)しむ」、
慈悲(じひ)の心もなく詐り親しむ偽善的(ぎぜんてき)行為であり「彼(かれ)が怨(あだ)」であります。
この失(とが)を逃れるためには、不幸と混乱と苦悩の原因がすべて邪義邪宗(じゃぎじゃしゅう)の害毒(がいどく)にあり、謗法を捨てて正法に帰(き)することが幸せになるための最善の方途(ほうと)であることをはっきりと伝え、躊躇(ちゅうちょ)せず折伏を実践すべきであります。
(平成二十二年八月広布唱題会の砌)