「謗法を責めずして成仏を願はゞ、火の中に水を求め、水の中に火を尋ぬるが如くなるべし。はかなしはかなし。
何に法華経を信じ給ふとも、謗法あらば必ず地獄にをつべし。うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し」と仰せられ、自行化他にわたる信心こそが肝要でありまして、化他すなわち折伏を忘れた、自行だけの信心は本来、存続しない、そういう信心はありあえないのだとおっしゃっているのです。(中略)
「私は一生懸命、信心をして題目も唱えているけれども、なかなか功徳が顕(あらわ)れない」と言う方がいたとすれば、もう一度、自分自身の信心を振り返って、この信心とは自行化他であり、自行化他に渡って題目を唱えていくところが大事だといくことを、よくよく考えていただきたいと思います。
つまり、末法の修行は自行化他の信心であると、大聖人様は明言あそばされているのであります。
この折伏こそが、地涌(じゆう)の眷属(けんぞく)として、御本仏大聖人様から仰せつかった尊く大事な使命なのです。
また、これが広布達成の唯一の方途(ほうと)であり、一切衆生救済の最善の慈悲行なのです。ですから、まさに仏祖三宝尊への最高の報恩行(ほうおんぎょう)となり、最高の仏道修行となるのであります。
(大白法 九六二 御法主日如上人猊下御講義)
何に法華経を信じ給ふとも、謗法あらば必ず地獄にをつべし。うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し」と仰せられ、自行化他にわたる信心こそが肝要でありまして、化他すなわち折伏を忘れた、自行だけの信心は本来、存続しない、そういう信心はありあえないのだとおっしゃっているのです。(中略)
「私は一生懸命、信心をして題目も唱えているけれども、なかなか功徳が顕(あらわ)れない」と言う方がいたとすれば、もう一度、自分自身の信心を振り返って、この信心とは自行化他であり、自行化他に渡って題目を唱えていくところが大事だといくことを、よくよく考えていただきたいと思います。
つまり、末法の修行は自行化他の信心であると、大聖人様は明言あそばされているのであります。
この折伏こそが、地涌(じゆう)の眷属(けんぞく)として、御本仏大聖人様から仰せつかった尊く大事な使命なのです。
また、これが広布達成の唯一の方途(ほうと)であり、一切衆生救済の最善の慈悲行なのです。ですから、まさに仏祖三宝尊への最高の報恩行(ほうおんぎょう)となり、最高の仏道修行となるのであります。
(大白法 九六二 御法主日如上人猊下御講義)