今、宗門は来るべき平成三十三年に向かって、僧俗一致して前進をしておりますが、この時に当たって一人ひとりが広布の戦士として折伏に励み、全支部が必ず誓願(せいがん)を達成していただきたいと思います。
それには僧俗一致・異体同心して折伏に励んでいくことが大事であります。
この折伏は、いくら考えてもできません。頭で考えるだけでできますか、違うでしょう。
折伏は、折伏を実践(じっせん)しなければ、折伏をしたことにはならないと、よく言うでしょう。だから、折伏をするのです。
ここに大御本尊様の本当に大きな功徳を頂いて、我々の命が無限に開かれてくるのです。
そもそも折伏というのは、相手の幸せを願って行うものであります。この世の中が少しでもよくなるように、心を込めて折伏すれば、話術とか色々なテクニックの有無(うむ)ではなくして、諸天善神(しょてんぜんじん)の加護(かご)のもとに必ず折伏することができるのです。私達が心を込めて折伏すれば、必ず諸天善神は私達を護(まも)ってくれます。
結局、折伏は、できないのではなく、やらないからできないのです。
だから、やれば必ずできるのです。大聖人様の弟子檀那(でしだんな)たる者ならば、たとえ一文一句なりとも、折伏することが肝要であります。
(大白法九六二 御法主日如上人猊下御講義)
それには僧俗一致・異体同心して折伏に励んでいくことが大事であります。
この折伏は、いくら考えてもできません。頭で考えるだけでできますか、違うでしょう。
折伏は、折伏を実践(じっせん)しなければ、折伏をしたことにはならないと、よく言うでしょう。だから、折伏をするのです。
ここに大御本尊様の本当に大きな功徳を頂いて、我々の命が無限に開かれてくるのです。
そもそも折伏というのは、相手の幸せを願って行うものであります。この世の中が少しでもよくなるように、心を込めて折伏すれば、話術とか色々なテクニックの有無(うむ)ではなくして、諸天善神(しょてんぜんじん)の加護(かご)のもとに必ず折伏することができるのです。私達が心を込めて折伏すれば、必ず諸天善神は私達を護(まも)ってくれます。
結局、折伏は、できないのではなく、やらないからできないのです。
だから、やれば必ずできるのです。大聖人様の弟子檀那(でしだんな)たる者ならば、たとえ一文一句なりとも、折伏することが肝要であります。
(大白法九六二 御法主日如上人猊下御講義)