まさに末法の正鏡たる南無妙法蓮華経の御本尊を戴(いただ)いて信心をしている我々は、この御教示(ごきょうじ)を固く信じて疑わず、御本尊に対する絶対信を持って自行化他の行業に励むことが最も大事であると思います。
「又人の死ぬる事はやまひにはよらず。当時のゆき(壱岐)・つしま(対馬)のものどもは病なけれども、みなみなむこ(蒙古)人(びと)に一時にうちころされぬ」
(御書 九〇〇頁)
とあり、そのあと「病あれば死ぬべしという事不定なり。又このやまひは仏の御はからひか。そのゆへは浄名経(じょうみょう)・涅槃経(ねはん)には病ある人、仏になるべきよしとかれて候。病によりて道心(どうしん)はおこり候か」と続いております。まさに病によって道心は起きるとの仰せは、非常に尊(とうと)いお言葉です。私達にとっては、どんな悪業(あくごう)であろうとも、お題目をしっかりと唱えていくことによって、これを必ず解決することができるということであります。
皆さんのなかにも心(こころ)の病(やまい)や身(み)の病(やまい)を、それなりにお持ちの方もいらっしゃるかも知れません。
私達は自行化他にわたる行業(ぎょうごう)をもって、その病を克服(こくふく)していくことができるのでありますから、重々(じゅうじゅう)このことを知るべきであります。
(大白法 第二十一回海外信徒夏期講習会開会式の砌)
「又人の死ぬる事はやまひにはよらず。当時のゆき(壱岐)・つしま(対馬)のものどもは病なけれども、みなみなむこ(蒙古)人(びと)に一時にうちころされぬ」
(御書 九〇〇頁)
とあり、そのあと「病あれば死ぬべしという事不定なり。又このやまひは仏の御はからひか。そのゆへは浄名経(じょうみょう)・涅槃経(ねはん)には病ある人、仏になるべきよしとかれて候。病によりて道心(どうしん)はおこり候か」と続いております。まさに病によって道心は起きるとの仰せは、非常に尊(とうと)いお言葉です。私達にとっては、どんな悪業(あくごう)であろうとも、お題目をしっかりと唱えていくことによって、これを必ず解決することができるということであります。
皆さんのなかにも心(こころ)の病(やまい)や身(み)の病(やまい)を、それなりにお持ちの方もいらっしゃるかも知れません。
私達は自行化他にわたる行業(ぎょうごう)をもって、その病を克服(こくふく)していくことができるのでありますから、重々(じゅうじゅう)このことを知るべきであります。
(大白法 第二十一回海外信徒夏期講習会開会式の砌)