様々な困難や障害を乗り超え、総本山に登山参詣された功徳はまことに計り知れないものがあり、この
たび御登山された皆様に対して、心から敬意を表すものであります。
大聖人様は『南条殿御返事』に、
「此の砌(みぎり)に望まん輩(やから)は無始の罪障忽(たちま)ちに消滅し、三業(さんごう)の悪転じて三徳を成ぜん」
(御書 一五六九)
と仰せられています。
「此の砌」とは、大聖人のまします所を言いますが、現時においては本門戒壇の大御本尊の御在所たる、ここ総本山大石寺のことであります。
すなわち、本門戒壇の大御本尊まします総本山大石寺に登山参詣する功徳は、計り知れないほど大きく、無始以来の罪障を消滅して、三業の悪を転じて三徳を成ずると仰せられているのであります。
三業の悪を転じて三徳を成ずるとは、過去遠々劫(おんのんごう)から積み重ねてきた身口意(しんくい)の三業にわたる悪業、すなわち一切の言語・所作・振る舞い、思慮にかかわるすべての悪を転じて、法身・般若・解脱の三徳を成ずることができると仰せられているのであります。
法身・般若・解脱の三徳とは、仏様に具わる三種の徳相のことで、「法身」とは仏様が証得された真理、「般若」とは最高の真理を悟る智慧、「解脱」とは法身・般若の二徳が一如となり、生死の苦界から脱却した状態を言うのであります。
されば、私どもは一人ひとりがこの御金言を拝し、いよいよ信心強盛に(ごうじょう)に、一天広布を目指して妙法広布に励む時、必ず大御本尊様の広大無辺なる御冥護(みょうご)を賜り、三業の悪を三徳に転じて、必ず一生成仏することができるのであります。
(平成二十八年八月二十日 第十九回 海外信徒夏期研修会開会式の砌)
たび御登山された皆様に対して、心から敬意を表すものであります。
大聖人様は『南条殿御返事』に、
「此の砌(みぎり)に望まん輩(やから)は無始の罪障忽(たちま)ちに消滅し、三業(さんごう)の悪転じて三徳を成ぜん」
(御書 一五六九)
と仰せられています。
「此の砌」とは、大聖人のまします所を言いますが、現時においては本門戒壇の大御本尊の御在所たる、ここ総本山大石寺のことであります。
すなわち、本門戒壇の大御本尊まします総本山大石寺に登山参詣する功徳は、計り知れないほど大きく、無始以来の罪障を消滅して、三業の悪を転じて三徳を成ずると仰せられているのであります。
三業の悪を転じて三徳を成ずるとは、過去遠々劫(おんのんごう)から積み重ねてきた身口意(しんくい)の三業にわたる悪業、すなわち一切の言語・所作・振る舞い、思慮にかかわるすべての悪を転じて、法身・般若・解脱の三徳を成ずることができると仰せられているのであります。
法身・般若・解脱の三徳とは、仏様に具わる三種の徳相のことで、「法身」とは仏様が証得された真理、「般若」とは最高の真理を悟る智慧、「解脱」とは法身・般若の二徳が一如となり、生死の苦界から脱却した状態を言うのであります。
されば、私どもは一人ひとりがこの御金言を拝し、いよいよ信心強盛に(ごうじょう)に、一天広布を目指して妙法広布に励む時、必ず大御本尊様の広大無辺なる御冥護(みょうご)を賜り、三業の悪を三徳に転じて、必ず一生成仏することができるのであります。
(平成二十八年八月二十日 第十九回 海外信徒夏期研修会開会式の砌)