平成二十二年「広布前進の年」支部総登山・添書登山
皆さんこんにちは、只今ご紹介頂きました。兵庫県加古川市、浄福寺住職の園田でございます。
皆様には全国各地からの御参詣、誠に御苦労様でございます。
限られた時間ではございますが、「全支部誓願達成に向かって」と題してお話を申し上げたいと思います。
さて、七月を半ばを過ぎ、「広布前進の年」も後半へと入りました。先程、布教部にお伺いしましたところ、本日現在、全国で六十三ヵ支部が折伏の誓願目標を達成しています。
折伏成果の数え方が、従来の御本尊下付世帯数から折伏人数へと変わったことも影響してると思いますが、各支部共に例年になく折伏の勢いが増しております。
昨年七月二十六日、僧俗があらゆる困難を乗り越え、また天気予報を覆(くつがえ)す好天にも恵まれ、御当代日如上人、御隠尊日顕上人御臨席のもとに開催された「七万五千名大結集総会」から一年が経とうとしています。
宗門史上未曾有の大歓喜のなか、平成二十七年の法華講員五十%増・同三十三年の法華講員八十万人体勢の御命題達成
に向け、全員で勝鬨(かちどき)を上げた感動を終生忘れることはないと思います。
大結集総会以後、各支部の折伏の勢いは止まることはなく、今日現在まで続いております。今年は御命題成就に向かう最初の
年ですので特に大事な年であることは言うまでもありません。
日如上人も常々「支部の大中小を問わず、全ての支部が平成二十七年に向かっての初年度に当たる広布前進の年を必ず勝利していくよう」にと御指南されています。
現在、全国各支部の折伏状況は、概(おおむね)次の三種類あると思われます。
一つに、既に折伏誓願を達成した支部。
二つに、まだ達成していなくても毎月の折伏が順調に進んでいる支部。
三つに、半年を過ぎた今、誓願目標の五十%に満たず出遅れている支部、
この三種類であります。
何度も言いますが、今年は平成二十七年に向かう初年度ですから、是が非でも全支部が誓願の達成を期さなくてはなりません。
したがって、今申し上げた三種類の支部の中でも、第三番目の折伏があまり進んでいない支部の方々には、今月の『立正安国論』上呈の月を機に、大いに奮起してもらいたいのであります。
また、達成している支部の方や、順調に進んでいる支部の方の中でも、「一人が一人の折伏」ができていない方もいらっしゃるはずです。
折伏が達成している、していないに関わらず、今日より一人ひとりが折伏を遂行して、今後も広布へ力強く前進していただきたいと思います。
その上で、今日私が申し上げたいことが二つあります。
一つは折伏に対する「やる気」を持つということ、すなわち一人ひとりが折伏に対して情熱・気迫を持ち、なんとしても誓願を達成していこうとの意識改革、二つには、折伏には理屈ではなく実践、動いていく、行動が大事であるという、二つであります。
何事もまず気持ちが入らないと行動することができません。
折伏も同様であり、「なんとしても折伏をさせていただきたい」という、強い自覚と使命があってこそ行動に移せます。
今日は皆様にこの二つについて、難しい話は抜きにして歴史上の実話を通して申し上げたいと思います。
「為(な)せば成(な)る 為せねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」
皆さんは、この言葉を何度か耳にされたことがあると思いますが、江戸時代三大名君の一人と言われた米沢藩主・上杉鷹山(ようざん)の言葉です。
この言葉は、「人間、やる気さえあれば何事も成し遂げることができる」という意味です。折伏も同様です。
「折伏はやればできるのです。できないのは折伏をしないからです」
北九州市・法霑寺御住職の秋山日浄御尊能化は、よくこの言葉を使われ私たちに御指導くださいます。やる気さえあれば折伏はできるのです。
折伏ができない理由は、やる気がないことと折伏をしていないからに尽きます。ですから、折伏はどんな人でもすればできます。
そこでこのやる気を起こすことがまずもって重要なのであります。
話を上杉鷹山に戻しましょう。
鷹山は宮崎県高鍋藩三万石の藩主、秋月家の次男として生まれました。縁あって上杉家に婿養子として入り、上杉家当主としては有名な上杉謙信から十代目、米沢藩主としては九代目の方であります。鷹山が生まれた年は、九代将軍、徳川家重の代であり、本宗では第三十二世日教上人が御当職を務められていた時代であります。
さて、鷹山が藩主となった時、米沢藩は破滅寸前で、藩内の環境だけでなく、人々の心も荒れ、他人のことなど考えず、自分のことで精一杯の状態でした。
江戸から初めて米沢に向かう途中の板谷峠で、廃宿と化していた本陣に入った時、藩内のあまりのひどい有り様に鷹山は絶望しました。
しかしそこでの宿で何気なくかき回した火鉢の灰の中に、まだ消えていない小さな炭火を見つけ、新しい炭を足して吹き付け火が移った様子を見た鷹山は家臣に言いました。「自分がこの小さな炭火となり火種になる。お前たちはこの火を受けてくれ。そして明日、米沢城に入ったら、各職場で火種運動を起こしてもらいたい。そうなれば、町や村人達も火を受けて理解協力してくれるだろう。」
この火種のエピソードは、藩の財政再建だけに止(どど)まらず、武士や農民たちの意識改革と、自分に潜在する新しい能力の開発へと向かう「心の赤字までも克服した」と言われております。
改革への決意を固く誓った鷹山が志したのは、産業の奨励と人材育成・人々の意識改革の二本柱であります。
しかし、どんな組織もそうですが、改革には保守派の反対がつきものです。
既得権(きとくけけん)に執着する重役七人の強い反抗に対し、鷹山は二人を切腹、五人を解雇することになるのですが、鷹山はまだ二十代と若い上に養子藩主の身です。
土地勘もなければ人脈もないハンデだらけの思い切った決断に、それまで冷ややかに見ていた藩士達は、改めて「若い殿様は本気だ」と見直し、改革に進んで協力するようになったと言います。
また鷹山は自ら町民・村人達を訪ね会話を重ねていきました。
最初は警戒した領民たちも、鷹山の誠意を感じ、次第に信頼を寄せるようになったのです。こうして改革が順調に進み、数年後には「棒杭(ぼうぐい)の商い」が行われるまでになりました。「棒杭の商い」とは、今でも田舎で見られる光景ですが、人気のない場所で、木材の棒杭に商品をぶら下げ、さらに値段表を下げておきます。
客には値段表を見て商品を買ってもらい、お金はその場に置いていってもらうという、商売の場に売り手なしで販売する商売を言います。
売る人はいませんが、買う人は必要な物をきちんとお金を払って持ち帰る。売れた物と勘定は、ピタリと合う。これは人と人との信頼関係がないとできない商いであります。
こうして米沢藩は単に財政上の赤字だけではなく、人間本来の思いやりや愛情までも蘇(よみがえ)らせることに成功しました。
英国の探検家は、米沢を東洋のユートピアと称し、アメリカのケネディ大統領は日本人で尊敬する人に上杉鷹山を挙げたという話もあります。
以上、これら米沢藩挙げての大改革と、上杉鷹山の不屈の闘志には、私達の信仰姿勢や組織作り、折伏の心得など、学ぶべきところが沢山あるのではないかと思います。ここから今日の本題に入ります。
鷹山に対する七つの大事を挙げてみます。
①誓願達成への信念と決意。(確信)
②目標・目的を明確にする。
③信頼関係を築いていく努力
④僧俗が異体同心する。
⑤自分が今何をなすべきかを考える
⑥まず自分が立ち上がる。(行動)
⑦本気でやる気をおこす。
(情熱と気迫)
大体この七つに集約されるのではないかと思いますが、これらの大事を実行することが誓願達成の条件となります。
では、一つ一つの項目に少し肉付けをして進めてみたいと思います。
①に、誓願達成への信念と決意であります。これは、理屈抜きになんとしても支部の誓願、そして一人ひとりが折伏を絶対にやり切っていこう、どんな困難なことが生じても貫いていく、そのことをまず御本尊様に固く誓わなければなりません。鷹山も初めて城下に入った時には、藩のあまりの荒廃ぶりに挫(くじ)けそうになりましたが、発想の転換と申しましょうか、逆境をはね除けて改革の決意を固めたわけです。
皆さんも、今どのような環境にあろうとも、愚痴を言わずひたすら折伏への決意を固めていただきたいと思います。
②の目標・目的を明確にしていくことでありますが、何事も的確な目標・目的がなければ進む方向を見出すことができません。
宗門としては明確に平成二十七年までに講員を五十%増加していくという方針があり、各支部においても、五ヵ年計画のもとに、毎年誓願目標が立てられております。
ただ、これらの目標を自分のものにしているか、していないかでは大きく差が生じてまいります。
いわゆる、宗門としての目標を自覚した上で、各自が個人レベルでの目標を明確にしているかどうかということであります。
そこで申し上げたいことは、具体的な御祈念を朝夕の勤行で真剣にすることであります。
「平成二十七年・第二祖日興上人御生誕七百七十年を期して、法華講員五十%増を名実ともに必ず成就なさしめ給え」
今一度、確認のために申し上げた次第です。
③に、信頼関係を築いていく努力です。先程の「棒杭の商い」に見られるように、僧侶と信徒、そして信徒と信徒の間に、強い信頼関係がないと折伏は進みません。
この信頼関係の基をなすところの一番は「慈悲」であります。 人には誠心誠意接していく。真剣な会話や挨拶、講中に罪障で苦しむ人がいれば、激励に駆けつけるなど地道な努力が必要であります。
強い絆、共に広布の戦士である御住職との信頼関係、講員同志の信頼関係も折伏達成の重要な要素であるといえます。
④は、③と同じ意味にも取れますが、僧俗が異体同心していくことであります。大聖人様が仰せの「異体同心なれば万事を成じ」、反対に「同体異心なれば諸事叶ふ事なし」であります。
皆様は、御住職の御指導どおりに折伏活動に励んでいますか?
当たり前だと思うかも知れませんが、実は意外な盲点がここにありました。
以前、何ヵ支部の方にアンケートに協力してもらい、あなたは御住職の御指導どおり活動されていますか?との質問を入れておきました。
驚くことなかれ、ほとんどの方が△印だったのです。△の意味するところは、自分に都合の良い指導は聞き入れるが、都合の悪い指導や厳しい指導は絶対に心に入れないと・・私はそう解釈いたしましたが、これは慢心から起こるものです。
これでは、折伏や組織改革はできません。
御信徒の皆様は、御住職が折伏についてどれだけ悩んでいるか、また考えておられるかを真剣に考えてみてください。是非、御住職の心と一つになって唱題や家庭訪問をしてみてください。そこにきっと今までとは違うものが見えてくると思います。
是非とも僧俗一体となった信行をお願い致します。
⑤に、自分が今何をなすべきかを考えることです。
これは前の、鷹山が米沢藩の人たちに、藩の大改革を推進していく時に当たり、自分なりの範囲で理解協力することを求めたわけであります。
「藩主も自分も頑張るから、お前たちもできる範囲で努力、協力をしてくれ」と話していったわけです。
これは鷹山を尊敬したと言われる、ジョン・F・ケネディが大統領就任演説の時に言った「国民の皆さん、自分のために国が何をしてくれるかを問うのではなく、自分が国のために何ができるのかを問うてください」、この言葉に通じるものがあります。
今、自分が支部のため、宗門のために、世のため、人のために何ができるのかを常に考え、問いながら進んでいくことが大切だと思います。
⑥に、まず自分が立ち上がるということは、どこまでも自分が主体者となっていくということであります。
役目だからとか、役員ではないからという消極的な考えや、傍観者としてものを観ることのないようにすることが大事であります。
人がやり出してから動いていくのではなく、まず自分ができることから動いていく、行動することを心掛けていきましょう。
昔の言葉に「小田原評定(ひょうじょう)」というものがあります。豊臣秀吉が小田原城を攻めたとき、城中で和戦の評定がなかなか決まらず、いたずらに無駄な時間を費やして結局は評定倒れになってしまったことをいいます。
これは実践、行動がいかに大事であるかとの誡(いまし)めであります。
その反対に「いざ鎌倉」という言葉があります。鎌倉幕府に重大なことが起こった時に、諸国の武士が招集されて鎌倉へと駆けつけるのであります。
各地に散在している大将は、一族郎党を引き連れて何百何千という人数となって鎌倉へ駆けつけます。
その駆けつけ方というのは、最初から大勢の武士を整えて隊を作って出発するのではなく、最初に大将が名乗りを上げ、大声で怒鳴りながら馬に乗って駆け出していき、その声を聞いた道筋の郎党がその大将の後を追いかけ、段々とそれが増えていき、鎌倉に着く頃には何百何千という人数になっていったのであります。
要は、誰がやろうがやるまいが、自分自身は御本尊様の一大事にいち早く駆けつける心持ちが大切であるということです。
自分が先陣を切って立ち上がれば、そこに多くの同志がうしろから付いてくるのでありますから、けっして傍観者になってはなりません。
御命題を果たしていくのは自分であることを自覚していただき、実践、行動に移してまいりましょう。
最後の七つ目は、折伏に対して本気でやる気を持つということです。
今までの六つをまとめた表現になりますが、このやる気は、誓願達成への情熱、何事も為(な)せば成るとの気迫が、やる気を出す元であろうと思います。
しかし、やる気のない人がやる気を起こすことは難しいことでもあります。
やる気のない人というのは、言い換えれば、御本尊様の功徳を感じられない、また信仰の喜びがない人と言えます。そこでこのような人は、とにかく唱題を徹底していくことから始めてみてください。御本尊様に真剣になって唱題をすれば、必ず御本尊様の広大無辺の功徳と信仰の喜びを感じることができます。
信心の基本である朝夕の勤行と唱題を、愚直なまでに繰り返し行っていただきたいと思います。
日寛上人は、
「自行若(も)し満つれば必ず化他有り」(御書文段二一九)
と仰せになられ、自行である勤行唱題が徹底された時には、自然と折伏がしたくなると御指南されております。
そして、功徳に満たされた方の言葉には、強い確信と慈悲が備わり、それが相手の心に深く伝わっていきます。
この会場には、様々な立場や境遇の方がいると思いますが、生活上の色々な問題に対処していくなかで、一つひとつ問題を正しく、納得がいく形で顕していけるのは唱題しかないことを知ってください。
人間関係や仕事上の問題、支部内のことや経済的な問題もあるでしょう。将亦(はたまた)、健康面の不安や子供や孫の問題に至るまで、全てにおいて「一切を開く鍵は唱題」にあります。またそれが、広布へ前進する一番の元であるということを、是非、確信なさいまして、これからの信行に精進していただきたく存じます。
最後に、御法主日如上人猊下の御指南を拝して、講演の結びと致します。
「朝夕の勤行をしっかりとし、唱題をして、その功徳と歓喜をもって折伏に打って出ていく。また、折伏の功徳によって唱題をし、唱題の功徳によって折伏をしていく。そういった良い循環をしていくことが、今年の大きなテーマではないかと思います」
(大日蓮・平成二二年七月号)
どうか、ただいまの御法主上人の御指南を肝に銘じ、この会場の一人ひとりが折伏を志す火種を持ち帰り、講中の方々の心に折伏の火をつけていただきますようお願い致します。
全国各支部が誓願達成されると共に、皆様方のさらなるご活躍を念じ、拙(つたな)い布教講演とさせていただきます。
ご清聴有り難うございました。
皆さんこんにちは、只今ご紹介頂きました。兵庫県加古川市、浄福寺住職の園田でございます。
皆様には全国各地からの御参詣、誠に御苦労様でございます。
限られた時間ではございますが、「全支部誓願達成に向かって」と題してお話を申し上げたいと思います。
さて、七月を半ばを過ぎ、「広布前進の年」も後半へと入りました。先程、布教部にお伺いしましたところ、本日現在、全国で六十三ヵ支部が折伏の誓願目標を達成しています。
折伏成果の数え方が、従来の御本尊下付世帯数から折伏人数へと変わったことも影響してると思いますが、各支部共に例年になく折伏の勢いが増しております。
昨年七月二十六日、僧俗があらゆる困難を乗り越え、また天気予報を覆(くつがえ)す好天にも恵まれ、御当代日如上人、御隠尊日顕上人御臨席のもとに開催された「七万五千名大結集総会」から一年が経とうとしています。
宗門史上未曾有の大歓喜のなか、平成二十七年の法華講員五十%増・同三十三年の法華講員八十万人体勢の御命題達成
に向け、全員で勝鬨(かちどき)を上げた感動を終生忘れることはないと思います。
大結集総会以後、各支部の折伏の勢いは止まることはなく、今日現在まで続いております。今年は御命題成就に向かう最初の
年ですので特に大事な年であることは言うまでもありません。
日如上人も常々「支部の大中小を問わず、全ての支部が平成二十七年に向かっての初年度に当たる広布前進の年を必ず勝利していくよう」にと御指南されています。
現在、全国各支部の折伏状況は、概(おおむね)次の三種類あると思われます。
一つに、既に折伏誓願を達成した支部。
二つに、まだ達成していなくても毎月の折伏が順調に進んでいる支部。
三つに、半年を過ぎた今、誓願目標の五十%に満たず出遅れている支部、
この三種類であります。
何度も言いますが、今年は平成二十七年に向かう初年度ですから、是が非でも全支部が誓願の達成を期さなくてはなりません。
したがって、今申し上げた三種類の支部の中でも、第三番目の折伏があまり進んでいない支部の方々には、今月の『立正安国論』上呈の月を機に、大いに奮起してもらいたいのであります。
また、達成している支部の方や、順調に進んでいる支部の方の中でも、「一人が一人の折伏」ができていない方もいらっしゃるはずです。
折伏が達成している、していないに関わらず、今日より一人ひとりが折伏を遂行して、今後も広布へ力強く前進していただきたいと思います。
その上で、今日私が申し上げたいことが二つあります。
一つは折伏に対する「やる気」を持つということ、すなわち一人ひとりが折伏に対して情熱・気迫を持ち、なんとしても誓願を達成していこうとの意識改革、二つには、折伏には理屈ではなく実践、動いていく、行動が大事であるという、二つであります。
何事もまず気持ちが入らないと行動することができません。
折伏も同様であり、「なんとしても折伏をさせていただきたい」という、強い自覚と使命があってこそ行動に移せます。
今日は皆様にこの二つについて、難しい話は抜きにして歴史上の実話を通して申し上げたいと思います。
「為(な)せば成(な)る 為せねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」
皆さんは、この言葉を何度か耳にされたことがあると思いますが、江戸時代三大名君の一人と言われた米沢藩主・上杉鷹山(ようざん)の言葉です。
この言葉は、「人間、やる気さえあれば何事も成し遂げることができる」という意味です。折伏も同様です。
「折伏はやればできるのです。できないのは折伏をしないからです」
北九州市・法霑寺御住職の秋山日浄御尊能化は、よくこの言葉を使われ私たちに御指導くださいます。やる気さえあれば折伏はできるのです。
折伏ができない理由は、やる気がないことと折伏をしていないからに尽きます。ですから、折伏はどんな人でもすればできます。
そこでこのやる気を起こすことがまずもって重要なのであります。
話を上杉鷹山に戻しましょう。
鷹山は宮崎県高鍋藩三万石の藩主、秋月家の次男として生まれました。縁あって上杉家に婿養子として入り、上杉家当主としては有名な上杉謙信から十代目、米沢藩主としては九代目の方であります。鷹山が生まれた年は、九代将軍、徳川家重の代であり、本宗では第三十二世日教上人が御当職を務められていた時代であります。
さて、鷹山が藩主となった時、米沢藩は破滅寸前で、藩内の環境だけでなく、人々の心も荒れ、他人のことなど考えず、自分のことで精一杯の状態でした。
江戸から初めて米沢に向かう途中の板谷峠で、廃宿と化していた本陣に入った時、藩内のあまりのひどい有り様に鷹山は絶望しました。
しかしそこでの宿で何気なくかき回した火鉢の灰の中に、まだ消えていない小さな炭火を見つけ、新しい炭を足して吹き付け火が移った様子を見た鷹山は家臣に言いました。「自分がこの小さな炭火となり火種になる。お前たちはこの火を受けてくれ。そして明日、米沢城に入ったら、各職場で火種運動を起こしてもらいたい。そうなれば、町や村人達も火を受けて理解協力してくれるだろう。」
この火種のエピソードは、藩の財政再建だけに止(どど)まらず、武士や農民たちの意識改革と、自分に潜在する新しい能力の開発へと向かう「心の赤字までも克服した」と言われております。
改革への決意を固く誓った鷹山が志したのは、産業の奨励と人材育成・人々の意識改革の二本柱であります。
しかし、どんな組織もそうですが、改革には保守派の反対がつきものです。
既得権(きとくけけん)に執着する重役七人の強い反抗に対し、鷹山は二人を切腹、五人を解雇することになるのですが、鷹山はまだ二十代と若い上に養子藩主の身です。
土地勘もなければ人脈もないハンデだらけの思い切った決断に、それまで冷ややかに見ていた藩士達は、改めて「若い殿様は本気だ」と見直し、改革に進んで協力するようになったと言います。
また鷹山は自ら町民・村人達を訪ね会話を重ねていきました。
最初は警戒した領民たちも、鷹山の誠意を感じ、次第に信頼を寄せるようになったのです。こうして改革が順調に進み、数年後には「棒杭(ぼうぐい)の商い」が行われるまでになりました。「棒杭の商い」とは、今でも田舎で見られる光景ですが、人気のない場所で、木材の棒杭に商品をぶら下げ、さらに値段表を下げておきます。
客には値段表を見て商品を買ってもらい、お金はその場に置いていってもらうという、商売の場に売り手なしで販売する商売を言います。
売る人はいませんが、買う人は必要な物をきちんとお金を払って持ち帰る。売れた物と勘定は、ピタリと合う。これは人と人との信頼関係がないとできない商いであります。
こうして米沢藩は単に財政上の赤字だけではなく、人間本来の思いやりや愛情までも蘇(よみがえ)らせることに成功しました。
英国の探検家は、米沢を東洋のユートピアと称し、アメリカのケネディ大統領は日本人で尊敬する人に上杉鷹山を挙げたという話もあります。
以上、これら米沢藩挙げての大改革と、上杉鷹山の不屈の闘志には、私達の信仰姿勢や組織作り、折伏の心得など、学ぶべきところが沢山あるのではないかと思います。ここから今日の本題に入ります。
鷹山に対する七つの大事を挙げてみます。
①誓願達成への信念と決意。(確信)
②目標・目的を明確にする。
③信頼関係を築いていく努力
④僧俗が異体同心する。
⑤自分が今何をなすべきかを考える
⑥まず自分が立ち上がる。(行動)
⑦本気でやる気をおこす。
(情熱と気迫)
大体この七つに集約されるのではないかと思いますが、これらの大事を実行することが誓願達成の条件となります。
では、一つ一つの項目に少し肉付けをして進めてみたいと思います。
①に、誓願達成への信念と決意であります。これは、理屈抜きになんとしても支部の誓願、そして一人ひとりが折伏を絶対にやり切っていこう、どんな困難なことが生じても貫いていく、そのことをまず御本尊様に固く誓わなければなりません。鷹山も初めて城下に入った時には、藩のあまりの荒廃ぶりに挫(くじ)けそうになりましたが、発想の転換と申しましょうか、逆境をはね除けて改革の決意を固めたわけです。
皆さんも、今どのような環境にあろうとも、愚痴を言わずひたすら折伏への決意を固めていただきたいと思います。
②の目標・目的を明確にしていくことでありますが、何事も的確な目標・目的がなければ進む方向を見出すことができません。
宗門としては明確に平成二十七年までに講員を五十%増加していくという方針があり、各支部においても、五ヵ年計画のもとに、毎年誓願目標が立てられております。
ただ、これらの目標を自分のものにしているか、していないかでは大きく差が生じてまいります。
いわゆる、宗門としての目標を自覚した上で、各自が個人レベルでの目標を明確にしているかどうかということであります。
そこで申し上げたいことは、具体的な御祈念を朝夕の勤行で真剣にすることであります。
「平成二十七年・第二祖日興上人御生誕七百七十年を期して、法華講員五十%増を名実ともに必ず成就なさしめ給え」
今一度、確認のために申し上げた次第です。
③に、信頼関係を築いていく努力です。先程の「棒杭の商い」に見られるように、僧侶と信徒、そして信徒と信徒の間に、強い信頼関係がないと折伏は進みません。
この信頼関係の基をなすところの一番は「慈悲」であります。 人には誠心誠意接していく。真剣な会話や挨拶、講中に罪障で苦しむ人がいれば、激励に駆けつけるなど地道な努力が必要であります。
強い絆、共に広布の戦士である御住職との信頼関係、講員同志の信頼関係も折伏達成の重要な要素であるといえます。
④は、③と同じ意味にも取れますが、僧俗が異体同心していくことであります。大聖人様が仰せの「異体同心なれば万事を成じ」、反対に「同体異心なれば諸事叶ふ事なし」であります。
皆様は、御住職の御指導どおりに折伏活動に励んでいますか?
当たり前だと思うかも知れませんが、実は意外な盲点がここにありました。
以前、何ヵ支部の方にアンケートに協力してもらい、あなたは御住職の御指導どおり活動されていますか?との質問を入れておきました。
驚くことなかれ、ほとんどの方が△印だったのです。△の意味するところは、自分に都合の良い指導は聞き入れるが、都合の悪い指導や厳しい指導は絶対に心に入れないと・・私はそう解釈いたしましたが、これは慢心から起こるものです。
これでは、折伏や組織改革はできません。
御信徒の皆様は、御住職が折伏についてどれだけ悩んでいるか、また考えておられるかを真剣に考えてみてください。是非、御住職の心と一つになって唱題や家庭訪問をしてみてください。そこにきっと今までとは違うものが見えてくると思います。
是非とも僧俗一体となった信行をお願い致します。
⑤に、自分が今何をなすべきかを考えることです。
これは前の、鷹山が米沢藩の人たちに、藩の大改革を推進していく時に当たり、自分なりの範囲で理解協力することを求めたわけであります。
「藩主も自分も頑張るから、お前たちもできる範囲で努力、協力をしてくれ」と話していったわけです。
これは鷹山を尊敬したと言われる、ジョン・F・ケネディが大統領就任演説の時に言った「国民の皆さん、自分のために国が何をしてくれるかを問うのではなく、自分が国のために何ができるのかを問うてください」、この言葉に通じるものがあります。
今、自分が支部のため、宗門のために、世のため、人のために何ができるのかを常に考え、問いながら進んでいくことが大切だと思います。
⑥に、まず自分が立ち上がるということは、どこまでも自分が主体者となっていくということであります。
役目だからとか、役員ではないからという消極的な考えや、傍観者としてものを観ることのないようにすることが大事であります。
人がやり出してから動いていくのではなく、まず自分ができることから動いていく、行動することを心掛けていきましょう。
昔の言葉に「小田原評定(ひょうじょう)」というものがあります。豊臣秀吉が小田原城を攻めたとき、城中で和戦の評定がなかなか決まらず、いたずらに無駄な時間を費やして結局は評定倒れになってしまったことをいいます。
これは実践、行動がいかに大事であるかとの誡(いまし)めであります。
その反対に「いざ鎌倉」という言葉があります。鎌倉幕府に重大なことが起こった時に、諸国の武士が招集されて鎌倉へと駆けつけるのであります。
各地に散在している大将は、一族郎党を引き連れて何百何千という人数となって鎌倉へ駆けつけます。
その駆けつけ方というのは、最初から大勢の武士を整えて隊を作って出発するのではなく、最初に大将が名乗りを上げ、大声で怒鳴りながら馬に乗って駆け出していき、その声を聞いた道筋の郎党がその大将の後を追いかけ、段々とそれが増えていき、鎌倉に着く頃には何百何千という人数になっていったのであります。
要は、誰がやろうがやるまいが、自分自身は御本尊様の一大事にいち早く駆けつける心持ちが大切であるということです。
自分が先陣を切って立ち上がれば、そこに多くの同志がうしろから付いてくるのでありますから、けっして傍観者になってはなりません。
御命題を果たしていくのは自分であることを自覚していただき、実践、行動に移してまいりましょう。
最後の七つ目は、折伏に対して本気でやる気を持つということです。
今までの六つをまとめた表現になりますが、このやる気は、誓願達成への情熱、何事も為(な)せば成るとの気迫が、やる気を出す元であろうと思います。
しかし、やる気のない人がやる気を起こすことは難しいことでもあります。
やる気のない人というのは、言い換えれば、御本尊様の功徳を感じられない、また信仰の喜びがない人と言えます。そこでこのような人は、とにかく唱題を徹底していくことから始めてみてください。御本尊様に真剣になって唱題をすれば、必ず御本尊様の広大無辺の功徳と信仰の喜びを感じることができます。
信心の基本である朝夕の勤行と唱題を、愚直なまでに繰り返し行っていただきたいと思います。
日寛上人は、
「自行若(も)し満つれば必ず化他有り」(御書文段二一九)
と仰せになられ、自行である勤行唱題が徹底された時には、自然と折伏がしたくなると御指南されております。
そして、功徳に満たされた方の言葉には、強い確信と慈悲が備わり、それが相手の心に深く伝わっていきます。
この会場には、様々な立場や境遇の方がいると思いますが、生活上の色々な問題に対処していくなかで、一つひとつ問題を正しく、納得がいく形で顕していけるのは唱題しかないことを知ってください。
人間関係や仕事上の問題、支部内のことや経済的な問題もあるでしょう。将亦(はたまた)、健康面の不安や子供や孫の問題に至るまで、全てにおいて「一切を開く鍵は唱題」にあります。またそれが、広布へ前進する一番の元であるということを、是非、確信なさいまして、これからの信行に精進していただきたく存じます。
最後に、御法主日如上人猊下の御指南を拝して、講演の結びと致します。
「朝夕の勤行をしっかりとし、唱題をして、その功徳と歓喜をもって折伏に打って出ていく。また、折伏の功徳によって唱題をし、唱題の功徳によって折伏をしていく。そういった良い循環をしていくことが、今年の大きなテーマではないかと思います」
(大日蓮・平成二二年七月号)
どうか、ただいまの御法主上人の御指南を肝に銘じ、この会場の一人ひとりが折伏を志す火種を持ち帰り、講中の方々の心に折伏の火をつけていただきますようお願い致します。
全国各支部が誓願達成されると共に、皆様方のさらなるご活躍を念じ、拙(つたな)い布教講演とさせていただきます。
ご清聴有り難うございました。