布教講演 平成29年 4月6日
御虫払大法会
皆様、こんばんは、
五重塔修復完成の意義深き本年、総本山御霊宝御虫払大法会が、御法主日如上人猊下大導師のもと、盛大に奉修されましたことを、まずもってお祝い申し上げます。
全山桜花爛漫(らんまん)の中、国内外代表信徒の皆様と共に、本門戒壇の大御本尊様在(ましま)す、総本山へ登山参詣された功徳と、身の福徳を心よりお慶び申し上げます。まことにおめでとうございます。
ただ今、ご紹介を賜りました。東京都足立区本修寺住職の園田司道でございます。
本日は「折伏と育成で広布へ前進」と題してお話を申し上げたいと存じます。
ご存知のように、平成三十三年の宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年を慶祝申し上げるための各種記念事業のうち、総本山整備事業の一環として、総本山の主要な伽藍(がらん)である、三門、五重塔、二天門、鬼門などの修復工事が行われてまいりました。そのうち、昨年末に五重塔の修復工事が終わり、本年一月十六日に、御法主日如上人猊下大導師のものに、代表の僧俗が参詣して「五重塔修復完成法要」が奉修されました。
五重塔建立の志(こころざし)と私たちの信行
五重塔建立の経過は、総本山第二十五世日宥上人、第二十六世日寛上人、第二十七世日養上人の御三師方の御内談により建立資金を調達されるなど、準備を進められましたが、未だ時至らず、着工するには至りませんでした。
その後、第三十世日忠上人が、江戸の常泉寺、妙縁寺、常在寺の三ケ寺の檀信徒に御供養を勧募(かんぼ)され、これに合わせて大石寺の地元や加賀地方(石川県)などからも、多くの御供養金が寄せられました。さらに、備中(岡山県)松山城主・板倉勝澄公より多額の建立資金が寄進されたことで、建設工事が本格的に始まり、日宥上人から数えて七代の御法主上人がその志を継承され、寛延二年六月に完成、第三十一世日因上人の大導師のもと、開眼法要が盛大に奉修されたのであります。
このように五重塔は、建立に携(たずさ)われた御法主上人をはじめ、僧俗による護法の志を長い年月、そして莫大な費用をかけて完成を見ました。
近年、国内の折伏はもちろん、海外信徒による折伏も盛んになり、総本山に多くの海外メンバーが登山されております。
『諌暁八幡抄』に、
「月は西より東に向へり、月氏の仏法、東へ流るべき相なり。日は東より出づ、日本の仏法、月氏へかへるべき瑞相(ずいそう)なり。」
(御書 一五四三㌻)
とございますが、釈尊の月氏の仏法は、インドから東に向って日本に伝来いたしました。
末法に入り、御本仏として日蓮大聖人が御出現され、
「今日蓮が唱ふる処の南無妙法蓮華経は末法一万年の衆生まで成仏せしむるなり。」(同 一七三二㌻)
と御教示通り、末法万年尽未来際(じんみらいさい)に至るまで、一切衆生救済の大白法が、日本から世界へと流布(るふ)していく時を迎えております。
『三大秘法抄』に、
「今日蓮が時に感じ此の法門広宣流布するなり」(同 一五九五㌻)
との御金言通り、現在、大聖人様の仏法は、五十二の国と地域に流布しており、世界広布の基盤が着々と築かれているのでございます。
世界広布のために建立された総本山の五重塔は、昭和四十一年に国の重要文化財に指定された貴重な伝統建築でもありますが、法華経『宝塔品』に現れた多宝仏塔に基づく、たいへん深い意義を持っており、名実共に世界一の宝塔と言えます。
そしてこのたび、建立より二百六十有余年を経て、大がかりな修復工事が行われるに当たり、僧俗多くの方が参加しての御供養で、壮麗な五重塔が修復完成した次第であります。
これよりは、なお一層、正法受持の功徳を確信し、五重塔の威容にふさわしい信行をもって、八十万人体勢の構築、さらにまた、その先にある広宣流布へと向かわなくてはなりません。
組織を挙(あ)げて人材育成
「折伏育成の年」と銘打たれた本年は、特に育成に重点を置いた信行に徹することが、御命題へ前進していく方途であります。
平成三十三年には、何としても私たちの手で、法華講員八十万人体勢構築を成就し、大聖人様の御聖誕八百年を心から慶祝申し上げ、広布の基盤を築いていかなくてはなりません。
御法主上人猊下が「三月度広布唱題会の砌」に、
「今、私どもは本年掲げた『折伏育成の年』の意義をよく噛(か)みしめ、講中一結・異体同心して、折伏を行じていくことが肝要であります。
と同時に、折伏した人の育成も、講中挙げて取り組んでいくことが大局的に見て極めて大事であります。」
(大白法 九五三号)
と御指南されておられる通り、御命題をめざして講中が一結・異体同心して折伏を行じ、組織を挙げて人材の育成に取り組み、育成から折伏へと展開する実践こそ、今年の信行の要点であります。
折伏・育成は、折伏の意義を教えること、すなわち、今生の苦しみや悩みはすべて謗法の害毒であり、大聖人様の仏法を信仰しお題目を唱えていくことで罪障消滅や転重軽受の功徳を成就し、現当二世に亘(わた)る成仏が可能になることを教えて、生き甲斐のある人生を歩んでいただくことが目的であります。
折伏と育成の両義は、御命題達成の大きな鍵を握ります。一人ひとりが弛(たゆ)まぬ信念と情熱、講中挙げての信行で、今年は全支部が誓願を達成し、広布の人材を輩出することが、荘厳された五重塔にふさわしい信行ではないかと思います。
法華弘通の三つの心得
そこで、これより折伏・育成の基本、布教していく上で大事な「衣座室(えざしつ)の三軌(き)」を通して、話を進めてまいります。
衣座室の三軌とは、法華経『法師品第十』に説かれており、仏の滅後に法華経を弘通する三種の心得を言い、弘教の三軌とも言います。今、『法師品』に説かれる衣座室の三軌を拝してみますと、
「若(も)し善男子、善女人有って、如来の滅後に、四衆(ししゅ)の為に、是の法華経を説かんと欲せば、如何(いかん)が応(まさ)に説くべき。是の善男子、善女人は、如来の室に入(い)り、如来の衣(ころも)を着(き)、如来の座に坐(ざ)して、爾(しか)して乃(いま)し四衆の為に広く斯(こ)の経を説くべし。如来の室とは、一切衆生の中の大慈悲心是なり。如来の衣とは柔和忍辱(にゅうわにんにく)の心是なり。如来の座とは一切法空是なり」(法華経 三二九㌻)
とあり、法華経を説く者は、「如来の室に入り、如来の衣を着、如来の座に坐す」の三種を心得ることを示されています。
まず如来の室とは、「一切衆生の大慈悲心なり」と示されており、折伏育成には、慈悲の心が大切であるということであります。
慈悲の慈とは「いつくしみ」と読み、人々に楽を与えること、慈悲の悲とは「あわれみ」と読み、人々の苦しみを抜くことを言います。つまり慈悲とは抜苦与楽(ばっくよらく)という意味になりますが、折伏育成の時には、「この信心で幸せになっていただきたい」「信心で立ち上がっていただきたい」と、何より相手を思いやる心、真心が大切なのであります。
そして、このような相手を思いやる一念、真心は勤行・唱題によって磨かれ、自然な中に言葉や振る舞いとして顕われてまいります。御法主上人猊下は、
「折伏の前に唱題をするのです。しっかりとお題目を唱えて、その唱題の功徳と歓喜をもって折伏に行ってごらんなさい。自然に私達の真心(まごころ)が相手に伝わります。相手がどんな人間であっても、そのように必ず伝わっていくのです。」
(大白法 九五二号)
と御指南されています。
慈悲心とは、不幸の根源である謗法を取り除くことであり、それは、唱題の功徳と歓喜をもって話をすれば、必ず真心は相手に伝わるということであります。
信心の究極、めざすところは、人格の向上であり完成にあると言えます。
他人(ひと)を思いやり、慈悲の心を持った仁徳ある人、品格ある振る舞いができる人をめざしていくことが、信心の目的でもあります。それには常に、
「只(ただ)南無妙法蓮華経と唱えたてまつるを、是をみがくとは云ふなり」(御書 四六㌻)
また、
「心の財をつませ給ふべし」(同 一一七三㌻)
と仰せのように、月々日々に唱題を重ねて信心を磨き、福徳を積んでこそ、初めて慈悲深い人格者になれるのでございます。
現在、世の風潮として知識ばかりを追い求める時代でありますが、人間にとって知識は枝葉、感性こそ根幹であり、大切にしなくてはなりません。今年の大きなテーマである育成は、自分の感性を正しい信仰生活の中で、磨き育(はぐく)んでいくことにあります。そして、その豊かで正しい感性が多くの人を救い、後輩たちが育つ大きな原動力となることを信じてやみません。
柔和忍辱(にんにく)の心を纏(まと)い
次の如来の衣を着るとは、「柔和忍辱の心是なり」と示され、折伏・育成には柔和忍辱の心が大切であるということです。
柔和とは、仏様の教えに正直で、恭順な姿勢を持つことであります。すなわち、本宗師弟相対の信行である大聖人様の教えに違(たが)えることなく、御法主上人の御指南のままに、指導教師の指導通りの信仰姿勢を貫くことが柔和に当たります。
そして忍辱とは、折伏育成をしていけば難に遭ったり、誹謗中傷されたり辱(はずかし)めを受けることもありますが、忍ぶ心で耐え、けっして感情的になってはいけないということです。どのような状況に直面しても、挫(くじ)けず、勇気ある行動と、御本尊様への揺るぎない確信で正法を持(たも)ち、乗り切っていくのであります。
大聖人様は、
「法華経を説く人は、柔和忍辱衣(にゅうわにんにくえ)と申して必ず衣あるべし」(同 九〇八㌻)
と仰せになり、法華経を待つ人は、柔和忍辱の衣を纏(まと)っていることを示されています。
さらに、衣という視点から申し上げますと、私たちが用いているお数珠は本宗の三衣(さんね)の一つであります。
お数珠について日寛上人は、
「下根を引接(いんじょう)して修行を牽課(けんか)するの具なり」(六巻抄 二二四㌻)
と仰せになり、至らない私たちの信行を上から引き上げ、下から支えてくれる、大切な仏道修行の法具であると示されております。そしてまた、「数珠は仏の如くせよ」「常自随身(じょうじずいしん)」(同二二五㌻)と仰せになり、お数珠は仏様を敬(うやま)うが如く丁重に扱い、どこへ行こうと肌身離さず持参することを心がけたいものです。
このようにご信徒は、たとえ法衣を纏っていなくとも、お数珠同様、常に柔和忍辱という信心の衣を纏っていることを自覚していただき、苦難にあってもなお一層の確信を深め、忍難弘通の心で折伏育成に当たっていただきたく思います。
尊い時間<命>を広布のために
そして三つ目の心得として、如来の座に坐すとは、「一切法空是なり」と示されております。
空というのは、執着をしないという意味ですが、様々な煩悩に執着をせず、何事にもとらわれずに、不自惜身命で折伏育成を行じていくという心であります。
私たちが朝夕唱える自我偈の中に、
「質直意柔軟 一心欲見仏 不自惜身命」(法華経 四三九㌻)
とございます。仏様の教えに正直に、柔和な心で、素直になって仏道を求めていく、その命こそ不自惜身命であります。
命とは、その人が持っている時間であると言われますが、私たちが折伏や育成に使う時間、講中行事や奉仕などに費(つい)やす時間など、広宣流布のために使うすべての時間は、私たちの尊い命であると言えます。その大切な命、時間を惜しむことなく御本尊様へ奉る信行が、不自惜身命の実践ということであります。
また同品には、これら衣座室の三軌に随って「不懈怠(ふけたい)の心を以(もっ)て」(同 三三〇㌻)法華経を弘めるように説かれております。
不懈怠とは怠けてはならないとの意味でありますが、凡夫の習いで怠けるつもりはなくても、気の緩(ゆる)みも出てきますし、時には休みたくなる弱い心を持っております。
しかし、諺(ことわざ)にも「自ら彊(つと)めて息(や)まず」
とございますように、与えられた環境や条件のもとで日々努力し最善を尽くし、休まずして物事を修めることが、自らを向上させ、徳を積むことになるのであります。
広布の途上には三障四魔や罪障、講中内の様々な問題や、その他、些細(ささい)なことにとらわれてなかなか信行が進まない方もおりますが、とにかく執着をせず、無心になって信行を推し進めていくことが何よりも大事ではないかと思います。そこに、我が身の尊い使命を自覚し、第二祖日興上人様の、
「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て✓随力弘通を致すべき事」(御書 一八八四㌻)
の誡(いまし)めを忘れず、順境にあっても逆境にあってもけっして止まることなく、変わらぬ信行を生涯にわたって貫いてまいりたいものです。
清浄な志の輪を築こう
ここで、衣座室の三軌をまとめるに当たり、「育成」について身近な例を挙げて考えてみましょう。
皆さんは『大白法』や日程表を持参しての家庭訪問、または、御報恩御講の参詣やご登山の啓蒙にも出かけると思います。
相手が信心していても、時に不機嫌であったり、嫌な顔をされたり、怒られたり、悪口を言われたり等々、様々なことがあると思います。
「こんな遠くまで来てやったのに、あの態度は何だ、もう二度と訪問してやるものか、ガソリン代がもったいなかった」
「悩んでいるから御講に誘ったのに、あのような言い方をされるなんて許せない」等と修羅界の命で帰るのか、反対に
「このような人がいてくれるから自分の罪障消滅ができるのだ。仏様のお使いができて本当に有り難いことではないか」
と菩薩の命が出てくるのか、皆さんはどちらの境界でしょうか。
『普賢菩薩勧発品』に、
「当起遠迎(とうきおんごう) 当如敬仏(とうにょきょうぶつ)」(法華経 六〇七㌻)
「法華経を受持する人には、当(まさ)に起(た)って遠く迎うべきこと、当に仏に敬うが如くすべし」と、信心している者同士は、
お互いを仏の如く敬い接していく大事が説かれております。
そして、大聖人様はこの「当起遠迎 当如敬仏」の八字をもって、
「法華一部の要路とせり」(御書 一七九四㌻)
と御教示であり、法華経の心、要は、信心している僧俗が互いに仏の如く尊敬し合い、大切に思うところにあると仰せになっているのであります。
御隠尊日顕上人猊下は、折伏と育成の要点について、
「大切なことは、人の和であります。僧侶と僧侶、僧侶と信徒、信徒と信徒が折伏と育成の達成に常に心を一つにし、互いに語り合い励まし合って、目標に向かい真剣に祈願し実践すること(中略)御法主上人猊下と総本山を根本とする清浄(せいじょう)な志(こころざし)の輪が出来ることが、育成を進展する一つの基本である」(大日蓮 八五一号)
と御指南あそばされました。総本山を中心にした大法のもとに僧俗が真に一致団結し、和をもって進んでいくことが、育成の基本であるとの仰せです。
お互いを尊重し、仲良く信行に励む、慈悲の振る舞いこそ異体同心団結の要諦であり、広宣流布の一歩であると拝するものであります。我が心を、常に広宣流布の一点に焦点を合わせ、「柔和忍辱の衣を着、不自惜身命の境地に立ち、慈悲の心を持って」の折伏育成こそ、信心の要訣(ようけつ)ではないかと確信いたします。
大聖人様は『御義口伝』に、
「今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は此の三軌を一念に成就するなり」(御書 一七五〇㌻)
と仰せであります。真剣に唱題を重ねていくならば折伏は絶対にできる所以(ゆえん)はここにあります。
唱題により、慈悲の心、柔和忍辱の心、不自惜身命の心、これらの三つの尊い命が、一念の中に起こってくるのであり、私たちの広布への情熱、慈悲心、真心、誠意、そういう要因が根底にあって、初めて相手の心を揺り動かして折伏が成就し、また、立派な人材が育つことを忘れてはなりません。
『乙御前御消息』に、
「抑(そもそも)一人の盲目をあけて候はん功徳すら申すばかりなし。況んや日本国の一切衆生の眼をあけて候はん功徳をや」
(同 八九八㌻)
とございますが、一人を入信に導く功徳、また、一人を広布の人材へと導く功徳はとても大きく、やがて、世界中の人々を救っていくことに繋(つな)がっていくのであります。
世の中には、謗法で苦しんでいる人、講中にあっても勤行・唱題ができない人、寺院にも総本山への参詣できない人がたくさんおられます。
この方々に「大聖人様の信仰で幸せになってもらいたい」「功徳を積んでもらいたい」と思う強い一念は、絶対信の真剣な唱題で培(つちか)われます。
特に、人材育成に当たっては、育成する側の大確信と慈悲心がいかに大事であるかを改めて自覚し、相手が自分以上の人材になることを願い、常に声をかけ、共に行動し、寄り添っていくことを心がけていただきたいと思います。
一文一句なりともかたらせ給ふべし
このたび、僧俗が和合し、護法の志を持って五重塔が立派に修復完成いたしました。五重塔の威容にふさわしく、大聖人様の御意を心として、広宣流布に向かって現状から一歩でも前進していくことが、私たちの今為すべき信行であります。
御法主上人猊下は年頭に当たり、
「折伏する者の確信に満ちた言葉や態度を見て、相手は入信するか否(いな)かを決めるのでありますから、その時だけの見せかけではなく、普段からしっかりと唱題に励み、その功徳と歓喜をもって
折伏に打って出ることが肝要なのであります」(大白法 九四九号)
と御指南されました。
御本尊様への弛まない唱題で、絶対の信心をつかみ、その功徳と歓喜と慈悲の心で折伏育成に励んでこそ、自他共に真の幸せがあり、功徳が成就するのであります。『法師品』に、
「能(よ)く竊(ひそか)に一人の為にも、法華経の、乃至(ないし)一句を説かん」(法華経 三二一㌻)
また、『諸法実相抄』に、
「我もいたし人をも教化候へ。(中略)力あらば一文一句なりともかたらせ給ふべし」(御書 六六八㌻)
とございます。
たとえ人知れず地道な折伏であっても、また、たとえ言葉ひと言であっても、大聖人様の信心を、真心込めて勧めていくことが大切であります。
僧俗異体同心の固い団結と、折伏育成で正法の興隆を図り、確実な広布前進こそが、宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年の慶祝を真に意義あらしめることを確信して進んでまいりましょう。
本日の大法要を機に、全国全支部が今年の折伏誓願目標を完遂し、力強く広布へ向かって駒を進めていくことを、共々にお誓い申し上げようではありませんか。
皆様のご健勝とご活躍を心よりお祈り申し上げ、布教講演とさせていただきます。
ご清聴まことにありがとうございます。
御虫払大法会
皆様、こんばんは、
五重塔修復完成の意義深き本年、総本山御霊宝御虫払大法会が、御法主日如上人猊下大導師のもと、盛大に奉修されましたことを、まずもってお祝い申し上げます。
全山桜花爛漫(らんまん)の中、国内外代表信徒の皆様と共に、本門戒壇の大御本尊様在(ましま)す、総本山へ登山参詣された功徳と、身の福徳を心よりお慶び申し上げます。まことにおめでとうございます。
ただ今、ご紹介を賜りました。東京都足立区本修寺住職の園田司道でございます。
本日は「折伏と育成で広布へ前進」と題してお話を申し上げたいと存じます。
ご存知のように、平成三十三年の宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年を慶祝申し上げるための各種記念事業のうち、総本山整備事業の一環として、総本山の主要な伽藍(がらん)である、三門、五重塔、二天門、鬼門などの修復工事が行われてまいりました。そのうち、昨年末に五重塔の修復工事が終わり、本年一月十六日に、御法主日如上人猊下大導師のものに、代表の僧俗が参詣して「五重塔修復完成法要」が奉修されました。
五重塔建立の志(こころざし)と私たちの信行
五重塔建立の経過は、総本山第二十五世日宥上人、第二十六世日寛上人、第二十七世日養上人の御三師方の御内談により建立資金を調達されるなど、準備を進められましたが、未だ時至らず、着工するには至りませんでした。
その後、第三十世日忠上人が、江戸の常泉寺、妙縁寺、常在寺の三ケ寺の檀信徒に御供養を勧募(かんぼ)され、これに合わせて大石寺の地元や加賀地方(石川県)などからも、多くの御供養金が寄せられました。さらに、備中(岡山県)松山城主・板倉勝澄公より多額の建立資金が寄進されたことで、建設工事が本格的に始まり、日宥上人から数えて七代の御法主上人がその志を継承され、寛延二年六月に完成、第三十一世日因上人の大導師のもと、開眼法要が盛大に奉修されたのであります。
このように五重塔は、建立に携(たずさ)われた御法主上人をはじめ、僧俗による護法の志を長い年月、そして莫大な費用をかけて完成を見ました。
近年、国内の折伏はもちろん、海外信徒による折伏も盛んになり、総本山に多くの海外メンバーが登山されております。
『諌暁八幡抄』に、
「月は西より東に向へり、月氏の仏法、東へ流るべき相なり。日は東より出づ、日本の仏法、月氏へかへるべき瑞相(ずいそう)なり。」
(御書 一五四三㌻)
とございますが、釈尊の月氏の仏法は、インドから東に向って日本に伝来いたしました。
末法に入り、御本仏として日蓮大聖人が御出現され、
「今日蓮が唱ふる処の南無妙法蓮華経は末法一万年の衆生まで成仏せしむるなり。」(同 一七三二㌻)
と御教示通り、末法万年尽未来際(じんみらいさい)に至るまで、一切衆生救済の大白法が、日本から世界へと流布(るふ)していく時を迎えております。
『三大秘法抄』に、
「今日蓮が時に感じ此の法門広宣流布するなり」(同 一五九五㌻)
との御金言通り、現在、大聖人様の仏法は、五十二の国と地域に流布しており、世界広布の基盤が着々と築かれているのでございます。
世界広布のために建立された総本山の五重塔は、昭和四十一年に国の重要文化財に指定された貴重な伝統建築でもありますが、法華経『宝塔品』に現れた多宝仏塔に基づく、たいへん深い意義を持っており、名実共に世界一の宝塔と言えます。
そしてこのたび、建立より二百六十有余年を経て、大がかりな修復工事が行われるに当たり、僧俗多くの方が参加しての御供養で、壮麗な五重塔が修復完成した次第であります。
これよりは、なお一層、正法受持の功徳を確信し、五重塔の威容にふさわしい信行をもって、八十万人体勢の構築、さらにまた、その先にある広宣流布へと向かわなくてはなりません。
組織を挙(あ)げて人材育成
「折伏育成の年」と銘打たれた本年は、特に育成に重点を置いた信行に徹することが、御命題へ前進していく方途であります。
平成三十三年には、何としても私たちの手で、法華講員八十万人体勢構築を成就し、大聖人様の御聖誕八百年を心から慶祝申し上げ、広布の基盤を築いていかなくてはなりません。
御法主上人猊下が「三月度広布唱題会の砌」に、
「今、私どもは本年掲げた『折伏育成の年』の意義をよく噛(か)みしめ、講中一結・異体同心して、折伏を行じていくことが肝要であります。
と同時に、折伏した人の育成も、講中挙げて取り組んでいくことが大局的に見て極めて大事であります。」
(大白法 九五三号)
と御指南されておられる通り、御命題をめざして講中が一結・異体同心して折伏を行じ、組織を挙げて人材の育成に取り組み、育成から折伏へと展開する実践こそ、今年の信行の要点であります。
折伏・育成は、折伏の意義を教えること、すなわち、今生の苦しみや悩みはすべて謗法の害毒であり、大聖人様の仏法を信仰しお題目を唱えていくことで罪障消滅や転重軽受の功徳を成就し、現当二世に亘(わた)る成仏が可能になることを教えて、生き甲斐のある人生を歩んでいただくことが目的であります。
折伏と育成の両義は、御命題達成の大きな鍵を握ります。一人ひとりが弛(たゆ)まぬ信念と情熱、講中挙げての信行で、今年は全支部が誓願を達成し、広布の人材を輩出することが、荘厳された五重塔にふさわしい信行ではないかと思います。
法華弘通の三つの心得
そこで、これより折伏・育成の基本、布教していく上で大事な「衣座室(えざしつ)の三軌(き)」を通して、話を進めてまいります。
衣座室の三軌とは、法華経『法師品第十』に説かれており、仏の滅後に法華経を弘通する三種の心得を言い、弘教の三軌とも言います。今、『法師品』に説かれる衣座室の三軌を拝してみますと、
「若(も)し善男子、善女人有って、如来の滅後に、四衆(ししゅ)の為に、是の法華経を説かんと欲せば、如何(いかん)が応(まさ)に説くべき。是の善男子、善女人は、如来の室に入(い)り、如来の衣(ころも)を着(き)、如来の座に坐(ざ)して、爾(しか)して乃(いま)し四衆の為に広く斯(こ)の経を説くべし。如来の室とは、一切衆生の中の大慈悲心是なり。如来の衣とは柔和忍辱(にゅうわにんにく)の心是なり。如来の座とは一切法空是なり」(法華経 三二九㌻)
とあり、法華経を説く者は、「如来の室に入り、如来の衣を着、如来の座に坐す」の三種を心得ることを示されています。
まず如来の室とは、「一切衆生の大慈悲心なり」と示されており、折伏育成には、慈悲の心が大切であるということであります。
慈悲の慈とは「いつくしみ」と読み、人々に楽を与えること、慈悲の悲とは「あわれみ」と読み、人々の苦しみを抜くことを言います。つまり慈悲とは抜苦与楽(ばっくよらく)という意味になりますが、折伏育成の時には、「この信心で幸せになっていただきたい」「信心で立ち上がっていただきたい」と、何より相手を思いやる心、真心が大切なのであります。
そして、このような相手を思いやる一念、真心は勤行・唱題によって磨かれ、自然な中に言葉や振る舞いとして顕われてまいります。御法主上人猊下は、
「折伏の前に唱題をするのです。しっかりとお題目を唱えて、その唱題の功徳と歓喜をもって折伏に行ってごらんなさい。自然に私達の真心(まごころ)が相手に伝わります。相手がどんな人間であっても、そのように必ず伝わっていくのです。」
(大白法 九五二号)
と御指南されています。
慈悲心とは、不幸の根源である謗法を取り除くことであり、それは、唱題の功徳と歓喜をもって話をすれば、必ず真心は相手に伝わるということであります。
信心の究極、めざすところは、人格の向上であり完成にあると言えます。
他人(ひと)を思いやり、慈悲の心を持った仁徳ある人、品格ある振る舞いができる人をめざしていくことが、信心の目的でもあります。それには常に、
「只(ただ)南無妙法蓮華経と唱えたてまつるを、是をみがくとは云ふなり」(御書 四六㌻)
また、
「心の財をつませ給ふべし」(同 一一七三㌻)
と仰せのように、月々日々に唱題を重ねて信心を磨き、福徳を積んでこそ、初めて慈悲深い人格者になれるのでございます。
現在、世の風潮として知識ばかりを追い求める時代でありますが、人間にとって知識は枝葉、感性こそ根幹であり、大切にしなくてはなりません。今年の大きなテーマである育成は、自分の感性を正しい信仰生活の中で、磨き育(はぐく)んでいくことにあります。そして、その豊かで正しい感性が多くの人を救い、後輩たちが育つ大きな原動力となることを信じてやみません。
柔和忍辱(にんにく)の心を纏(まと)い
次の如来の衣を着るとは、「柔和忍辱の心是なり」と示され、折伏・育成には柔和忍辱の心が大切であるということです。
柔和とは、仏様の教えに正直で、恭順な姿勢を持つことであります。すなわち、本宗師弟相対の信行である大聖人様の教えに違(たが)えることなく、御法主上人の御指南のままに、指導教師の指導通りの信仰姿勢を貫くことが柔和に当たります。
そして忍辱とは、折伏育成をしていけば難に遭ったり、誹謗中傷されたり辱(はずかし)めを受けることもありますが、忍ぶ心で耐え、けっして感情的になってはいけないということです。どのような状況に直面しても、挫(くじ)けず、勇気ある行動と、御本尊様への揺るぎない確信で正法を持(たも)ち、乗り切っていくのであります。
大聖人様は、
「法華経を説く人は、柔和忍辱衣(にゅうわにんにくえ)と申して必ず衣あるべし」(同 九〇八㌻)
と仰せになり、法華経を待つ人は、柔和忍辱の衣を纏(まと)っていることを示されています。
さらに、衣という視点から申し上げますと、私たちが用いているお数珠は本宗の三衣(さんね)の一つであります。
お数珠について日寛上人は、
「下根を引接(いんじょう)して修行を牽課(けんか)するの具なり」(六巻抄 二二四㌻)
と仰せになり、至らない私たちの信行を上から引き上げ、下から支えてくれる、大切な仏道修行の法具であると示されております。そしてまた、「数珠は仏の如くせよ」「常自随身(じょうじずいしん)」(同二二五㌻)と仰せになり、お数珠は仏様を敬(うやま)うが如く丁重に扱い、どこへ行こうと肌身離さず持参することを心がけたいものです。
このようにご信徒は、たとえ法衣を纏っていなくとも、お数珠同様、常に柔和忍辱という信心の衣を纏っていることを自覚していただき、苦難にあってもなお一層の確信を深め、忍難弘通の心で折伏育成に当たっていただきたく思います。
尊い時間<命>を広布のために
そして三つ目の心得として、如来の座に坐すとは、「一切法空是なり」と示されております。
空というのは、執着をしないという意味ですが、様々な煩悩に執着をせず、何事にもとらわれずに、不自惜身命で折伏育成を行じていくという心であります。
私たちが朝夕唱える自我偈の中に、
「質直意柔軟 一心欲見仏 不自惜身命」(法華経 四三九㌻)
とございます。仏様の教えに正直に、柔和な心で、素直になって仏道を求めていく、その命こそ不自惜身命であります。
命とは、その人が持っている時間であると言われますが、私たちが折伏や育成に使う時間、講中行事や奉仕などに費(つい)やす時間など、広宣流布のために使うすべての時間は、私たちの尊い命であると言えます。その大切な命、時間を惜しむことなく御本尊様へ奉る信行が、不自惜身命の実践ということであります。
また同品には、これら衣座室の三軌に随って「不懈怠(ふけたい)の心を以(もっ)て」(同 三三〇㌻)法華経を弘めるように説かれております。
不懈怠とは怠けてはならないとの意味でありますが、凡夫の習いで怠けるつもりはなくても、気の緩(ゆる)みも出てきますし、時には休みたくなる弱い心を持っております。
しかし、諺(ことわざ)にも「自ら彊(つと)めて息(や)まず」
とございますように、与えられた環境や条件のもとで日々努力し最善を尽くし、休まずして物事を修めることが、自らを向上させ、徳を積むことになるのであります。
広布の途上には三障四魔や罪障、講中内の様々な問題や、その他、些細(ささい)なことにとらわれてなかなか信行が進まない方もおりますが、とにかく執着をせず、無心になって信行を推し進めていくことが何よりも大事ではないかと思います。そこに、我が身の尊い使命を自覚し、第二祖日興上人様の、
「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て✓随力弘通を致すべき事」(御書 一八八四㌻)
の誡(いまし)めを忘れず、順境にあっても逆境にあってもけっして止まることなく、変わらぬ信行を生涯にわたって貫いてまいりたいものです。
清浄な志の輪を築こう
ここで、衣座室の三軌をまとめるに当たり、「育成」について身近な例を挙げて考えてみましょう。
皆さんは『大白法』や日程表を持参しての家庭訪問、または、御報恩御講の参詣やご登山の啓蒙にも出かけると思います。
相手が信心していても、時に不機嫌であったり、嫌な顔をされたり、怒られたり、悪口を言われたり等々、様々なことがあると思います。
「こんな遠くまで来てやったのに、あの態度は何だ、もう二度と訪問してやるものか、ガソリン代がもったいなかった」
「悩んでいるから御講に誘ったのに、あのような言い方をされるなんて許せない」等と修羅界の命で帰るのか、反対に
「このような人がいてくれるから自分の罪障消滅ができるのだ。仏様のお使いができて本当に有り難いことではないか」
と菩薩の命が出てくるのか、皆さんはどちらの境界でしょうか。
『普賢菩薩勧発品』に、
「当起遠迎(とうきおんごう) 当如敬仏(とうにょきょうぶつ)」(法華経 六〇七㌻)
「法華経を受持する人には、当(まさ)に起(た)って遠く迎うべきこと、当に仏に敬うが如くすべし」と、信心している者同士は、
お互いを仏の如く敬い接していく大事が説かれております。
そして、大聖人様はこの「当起遠迎 当如敬仏」の八字をもって、
「法華一部の要路とせり」(御書 一七九四㌻)
と御教示であり、法華経の心、要は、信心している僧俗が互いに仏の如く尊敬し合い、大切に思うところにあると仰せになっているのであります。
御隠尊日顕上人猊下は、折伏と育成の要点について、
「大切なことは、人の和であります。僧侶と僧侶、僧侶と信徒、信徒と信徒が折伏と育成の達成に常に心を一つにし、互いに語り合い励まし合って、目標に向かい真剣に祈願し実践すること(中略)御法主上人猊下と総本山を根本とする清浄(せいじょう)な志(こころざし)の輪が出来ることが、育成を進展する一つの基本である」(大日蓮 八五一号)
と御指南あそばされました。総本山を中心にした大法のもとに僧俗が真に一致団結し、和をもって進んでいくことが、育成の基本であるとの仰せです。
お互いを尊重し、仲良く信行に励む、慈悲の振る舞いこそ異体同心団結の要諦であり、広宣流布の一歩であると拝するものであります。我が心を、常に広宣流布の一点に焦点を合わせ、「柔和忍辱の衣を着、不自惜身命の境地に立ち、慈悲の心を持って」の折伏育成こそ、信心の要訣(ようけつ)ではないかと確信いたします。
大聖人様は『御義口伝』に、
「今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は此の三軌を一念に成就するなり」(御書 一七五〇㌻)
と仰せであります。真剣に唱題を重ねていくならば折伏は絶対にできる所以(ゆえん)はここにあります。
唱題により、慈悲の心、柔和忍辱の心、不自惜身命の心、これらの三つの尊い命が、一念の中に起こってくるのであり、私たちの広布への情熱、慈悲心、真心、誠意、そういう要因が根底にあって、初めて相手の心を揺り動かして折伏が成就し、また、立派な人材が育つことを忘れてはなりません。
『乙御前御消息』に、
「抑(そもそも)一人の盲目をあけて候はん功徳すら申すばかりなし。況んや日本国の一切衆生の眼をあけて候はん功徳をや」
(同 八九八㌻)
とございますが、一人を入信に導く功徳、また、一人を広布の人材へと導く功徳はとても大きく、やがて、世界中の人々を救っていくことに繋(つな)がっていくのであります。
世の中には、謗法で苦しんでいる人、講中にあっても勤行・唱題ができない人、寺院にも総本山への参詣できない人がたくさんおられます。
この方々に「大聖人様の信仰で幸せになってもらいたい」「功徳を積んでもらいたい」と思う強い一念は、絶対信の真剣な唱題で培(つちか)われます。
特に、人材育成に当たっては、育成する側の大確信と慈悲心がいかに大事であるかを改めて自覚し、相手が自分以上の人材になることを願い、常に声をかけ、共に行動し、寄り添っていくことを心がけていただきたいと思います。
一文一句なりともかたらせ給ふべし
このたび、僧俗が和合し、護法の志を持って五重塔が立派に修復完成いたしました。五重塔の威容にふさわしく、大聖人様の御意を心として、広宣流布に向かって現状から一歩でも前進していくことが、私たちの今為すべき信行であります。
御法主上人猊下は年頭に当たり、
「折伏する者の確信に満ちた言葉や態度を見て、相手は入信するか否(いな)かを決めるのでありますから、その時だけの見せかけではなく、普段からしっかりと唱題に励み、その功徳と歓喜をもって
折伏に打って出ることが肝要なのであります」(大白法 九四九号)
と御指南されました。
御本尊様への弛まない唱題で、絶対の信心をつかみ、その功徳と歓喜と慈悲の心で折伏育成に励んでこそ、自他共に真の幸せがあり、功徳が成就するのであります。『法師品』に、
「能(よ)く竊(ひそか)に一人の為にも、法華経の、乃至(ないし)一句を説かん」(法華経 三二一㌻)
また、『諸法実相抄』に、
「我もいたし人をも教化候へ。(中略)力あらば一文一句なりともかたらせ給ふべし」(御書 六六八㌻)
とございます。
たとえ人知れず地道な折伏であっても、また、たとえ言葉ひと言であっても、大聖人様の信心を、真心込めて勧めていくことが大切であります。
僧俗異体同心の固い団結と、折伏育成で正法の興隆を図り、確実な広布前進こそが、宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年の慶祝を真に意義あらしめることを確信して進んでまいりましょう。
本日の大法要を機に、全国全支部が今年の折伏誓願目標を完遂し、力強く広布へ向かって駒を進めていくことを、共々にお誓い申し上げようではありませんか。
皆様のご健勝とご活躍を心よりお祈り申し上げ、布教講演とさせていただきます。
ご清聴まことにありがとうございます。