開徳寺支部
小山聡美
本年一月に開催した開徳寺支部総会で、支部婦人部の今年の主な活動目標を「法統相続の推進」と掲げました。
その理由は、支部内の高齢の方々が、ここ数年で逝去されることが多くなり、その後の信心の後継者が定まらないケースも見受けられるからです。
そのようなお宅の場合、法事以外に、全くお寺に参詣しないということになります。最悪の場合は、葬儀までは親の願いを汲(く)んで何とかお寺で執り行いますが、その後の四十九日忌・一周忌といった法事を行わずに、お墓参りだけで済ませるという家庭も出て来ました。
お葬式を軽んずる世間の風潮もあると思いますが、こうなる原因の一つに、その家の信心の中心者が、お元気なうちに我が子に対して、この信心の重要性、唯一無二の御本尊様の尊さ、自分たち家族が、いかに今まで御本尊様にお守りいただいてきたかを、折に触れ、時間を割(さ)いて真剣に語って躾(しつ)けてこなかったことにあります。
御宗門から発刊されている『信心の原点』という本の中には、法統相続について、こう書かれています。
「大聖人が説き顕(あらわ)された南無妙法蓮華経は、あらゆる功徳の源であり、どんな財宝にも代えることができない、無上の財(たから)です。
大聖人が『崇峻(すしゅん)天皇御書』に、
『蔵の財よりも身の財すぐれたり。身の財より心の財第一なり。此の御文を御覧あらんよりは心の財をつませ給ふべし』(御書 一一七三㌻)
と仰せのように、子供が幸福な人生を歩むためには、資産(蔵の財)を渡すよりも、本宗の信心(心の財)を受け継がせることのほうが重要なのです。したがって、どんな理由にせよ法統相続をしないのは、この最高の財を子供に継がせない、子供が誤った信仰によって不幸になってもかまわない、ということと同じであり、これほど無慈悲なことはありません。」
(信心の原点 上ー五八㌻)
子供が育ち盛りのときには、自分たちが仕事や家事で忙しく、子供が大きくなれば今度は、子供が学業や仕事で忙しくなり、忙しいことを理由に信心の躾(しつけ)をしないまま時が過ぎてしまったとしたら、いざ自分が臨終という時に、果たして我が子や孫が、枕元で御題目を唱えてくれるでしょうか。
また、自分が亡き後、それまで信心を基本に生きてこなかった子や孫が、人生の苦難に直面したからといって、御本尊様に対する強い信仰心を持ってその苦難を乗り越えることなど、できるでしょうか。
「されば先づ臨終の事を習ふて後に他事を習ふべし」(御書 一四八二㌻)
と大聖人様は仰せです。
臨終の大事なことは大聖人様の御(み)教え
私は講中の方の臨終に、何度か立ち会わせていただきましたが、臨終の間際は、非常に魔が強く競います、御住職(小山宏道御尊師)よりは、「古来、法華講の信心は現世利益を求めるものではなく一生成仏にあり、まず臨終が大事であること、そして、臨終の姿に各々の信心が顕われることを、各家庭でも躾けている」ことを御指導いただいています。
臨終が迫り、ご本人に御題目を唱える力が残っていない場合、周りにいる家族が、臨終正念を助けるべく御題目を側で唱えるべきですが、無言で見守る家族が多いのです。この瞬間、何をしてあげることが一番大事なのかを判っておらず、苦しそうな表情をする親に対し、せいぜい手を握り、名前を呼ぶくらいです。
そんな時、私はご家族に、「ゆっくり南無妙法蓮華経を唱えてあげてください」とお願いしますが、ふだんから御題目を唱えていない方だと、戸惑いがあるのか、確信に満ちた唱題には程遠いことが多いです。
一番歯がゆく感じ、法統相続がきちんとできていないことが悔(く)やまれる瞬間です。
私はたびたび、御住職様が枕経に行かれる際にお供させていただいておりますが、その時に強く感じることがあります。
それは、ご遺族の方々が、御住職様の読経・唱題にしっかりと唱和できている場合とそうでない場合では、亡くなられた方の相に格段の違いが表われるということです。
臨終の問題において、ご遺族となる方々の師弟相対、異体同心の信心が強く影響することを、何度も体験しています。
このような体験を踏まえて、講中が一つになって、壮年部・青年部・少年部とも連携して講中全体の法統相続を推進していこうと決意を固めました。
法統相続の推進は講中の課題解決
まずは、具体的な情報を共有することから始まりますので、法統相続ができていない方の名簿を作成しました。名簿には、約九十名が載りました。
この九十名の方々の大半に、お子さんやお孫さんがいます。御受戒や勧戒は受けていますが、ほとんどがお寺に参詣しておらず、総本山へのご登山もすることがありません。
そして、法統相続のできていない講員さん一人に対して、約四人から十人ほどの子孫がいるのです。つまり、一人の講員の法統相続が叶わないことによって、約十人の眷属(けんぞく)を失うことになるます。
大聖人様は、『三三蔵祈雨事』に、
「 抑(そもそも)各々はいかなる宿善にて日蓮をば訪(とぶら)はせ給へるぞ。能く能く過去を御尋ね有らば、なにと無くとも此の度生死は離れさせ給ふべし」(同 八七七㌻)
と仰せです。
今生において値(あ)い難き御本尊様に巡り合い、多少なりとも「南無妙法蓮華経」と御題目を唱えてきた方々を、このまま放置してしまえば、十年、二十年後には、この家族全体が謗法にまみれて不幸になることは明らかです。
これを放置するわけにはいきません。また、当人任せにしても事は進みません。そこで、作成した名簿をもとに、家庭構成を再確認しました。さらに、この家庭には講中として誰がどう対応していくのか分担を決めて、家庭訪問を繰り返します。まずは名簿に載っている当人を励まして、直接お子さんにも会わせていただくようにし、この信心の大事を心を込めて語っていくのですが、その中で必ず変化が現われてきます。
ただし、通りいっぺんの話ではなく、「大聖人様のお使いである」とことらが肚を決めて臨まなければ、変化は起こりません。話をして、猛烈な拒否をされることもあります。
肚(はら)を決め家庭訪問未来のために今
このような変化を揉(も)め事ととらえて怯(ひる)む方もいらっしゃいますが、「本当の意味で家庭の幸せを願うなら、このぐらいの波風で怯んではいけませんよ。このままでは親子共々、成仏していけないのですよ」と、当事者を
励ましていきます。
毎週の折伏作戦会議のときに育成の推進状況も報告し合いますので、そのときに、皆で知恵を出し合い、対策を考えます。
また、なかなかご家族に会えない場合もあり、「会えた時が今生最後のチャンス」ぐらいの覚悟と勇気で、お話すべきことは必ずしていきます。
こうした中で、一層、家族内の様々な状況も判ってきて、新たな折伏の縁も少しずつですが出てきました。
法統相続の推進は折伏と同様、場合によってはそれ以上に困難ですし、魔も強く競います。しかし、御法主日如上人猊下が、
「折伏・育成の勝利の秘訣は師弟相対の信心と異体同心の団結(趣意)」
と常々御指南あそばされています。
これからも、法統相続の推進の活動が、必ず未来の菩提寺の発展に繋(つな)がると固く信じて、講頭を中心に支部一同、御住職様の御指導を根本に真剣な唱題で御仏智を戴き、精進してまいります。
(大白法 第一〇〇八号 令和元年七月一日)
小山聡美
本年一月に開催した開徳寺支部総会で、支部婦人部の今年の主な活動目標を「法統相続の推進」と掲げました。
その理由は、支部内の高齢の方々が、ここ数年で逝去されることが多くなり、その後の信心の後継者が定まらないケースも見受けられるからです。
そのようなお宅の場合、法事以外に、全くお寺に参詣しないということになります。最悪の場合は、葬儀までは親の願いを汲(く)んで何とかお寺で執り行いますが、その後の四十九日忌・一周忌といった法事を行わずに、お墓参りだけで済ませるという家庭も出て来ました。
お葬式を軽んずる世間の風潮もあると思いますが、こうなる原因の一つに、その家の信心の中心者が、お元気なうちに我が子に対して、この信心の重要性、唯一無二の御本尊様の尊さ、自分たち家族が、いかに今まで御本尊様にお守りいただいてきたかを、折に触れ、時間を割(さ)いて真剣に語って躾(しつ)けてこなかったことにあります。
御宗門から発刊されている『信心の原点』という本の中には、法統相続について、こう書かれています。
「大聖人が説き顕(あらわ)された南無妙法蓮華経は、あらゆる功徳の源であり、どんな財宝にも代えることができない、無上の財(たから)です。
大聖人が『崇峻(すしゅん)天皇御書』に、
『蔵の財よりも身の財すぐれたり。身の財より心の財第一なり。此の御文を御覧あらんよりは心の財をつませ給ふべし』(御書 一一七三㌻)
と仰せのように、子供が幸福な人生を歩むためには、資産(蔵の財)を渡すよりも、本宗の信心(心の財)を受け継がせることのほうが重要なのです。したがって、どんな理由にせよ法統相続をしないのは、この最高の財を子供に継がせない、子供が誤った信仰によって不幸になってもかまわない、ということと同じであり、これほど無慈悲なことはありません。」
(信心の原点 上ー五八㌻)
子供が育ち盛りのときには、自分たちが仕事や家事で忙しく、子供が大きくなれば今度は、子供が学業や仕事で忙しくなり、忙しいことを理由に信心の躾(しつけ)をしないまま時が過ぎてしまったとしたら、いざ自分が臨終という時に、果たして我が子や孫が、枕元で御題目を唱えてくれるでしょうか。
また、自分が亡き後、それまで信心を基本に生きてこなかった子や孫が、人生の苦難に直面したからといって、御本尊様に対する強い信仰心を持ってその苦難を乗り越えることなど、できるでしょうか。
「されば先づ臨終の事を習ふて後に他事を習ふべし」(御書 一四八二㌻)
と大聖人様は仰せです。
臨終の大事なことは大聖人様の御(み)教え
私は講中の方の臨終に、何度か立ち会わせていただきましたが、臨終の間際は、非常に魔が強く競います、御住職(小山宏道御尊師)よりは、「古来、法華講の信心は現世利益を求めるものではなく一生成仏にあり、まず臨終が大事であること、そして、臨終の姿に各々の信心が顕われることを、各家庭でも躾けている」ことを御指導いただいています。
臨終が迫り、ご本人に御題目を唱える力が残っていない場合、周りにいる家族が、臨終正念を助けるべく御題目を側で唱えるべきですが、無言で見守る家族が多いのです。この瞬間、何をしてあげることが一番大事なのかを判っておらず、苦しそうな表情をする親に対し、せいぜい手を握り、名前を呼ぶくらいです。
そんな時、私はご家族に、「ゆっくり南無妙法蓮華経を唱えてあげてください」とお願いしますが、ふだんから御題目を唱えていない方だと、戸惑いがあるのか、確信に満ちた唱題には程遠いことが多いです。
一番歯がゆく感じ、法統相続がきちんとできていないことが悔(く)やまれる瞬間です。
私はたびたび、御住職様が枕経に行かれる際にお供させていただいておりますが、その時に強く感じることがあります。
それは、ご遺族の方々が、御住職様の読経・唱題にしっかりと唱和できている場合とそうでない場合では、亡くなられた方の相に格段の違いが表われるということです。
臨終の問題において、ご遺族となる方々の師弟相対、異体同心の信心が強く影響することを、何度も体験しています。
このような体験を踏まえて、講中が一つになって、壮年部・青年部・少年部とも連携して講中全体の法統相続を推進していこうと決意を固めました。
法統相続の推進は講中の課題解決
まずは、具体的な情報を共有することから始まりますので、法統相続ができていない方の名簿を作成しました。名簿には、約九十名が載りました。
この九十名の方々の大半に、お子さんやお孫さんがいます。御受戒や勧戒は受けていますが、ほとんどがお寺に参詣しておらず、総本山へのご登山もすることがありません。
そして、法統相続のできていない講員さん一人に対して、約四人から十人ほどの子孫がいるのです。つまり、一人の講員の法統相続が叶わないことによって、約十人の眷属(けんぞく)を失うことになるます。
大聖人様は、『三三蔵祈雨事』に、
「 抑(そもそも)各々はいかなる宿善にて日蓮をば訪(とぶら)はせ給へるぞ。能く能く過去を御尋ね有らば、なにと無くとも此の度生死は離れさせ給ふべし」(同 八七七㌻)
と仰せです。
今生において値(あ)い難き御本尊様に巡り合い、多少なりとも「南無妙法蓮華経」と御題目を唱えてきた方々を、このまま放置してしまえば、十年、二十年後には、この家族全体が謗法にまみれて不幸になることは明らかです。
これを放置するわけにはいきません。また、当人任せにしても事は進みません。そこで、作成した名簿をもとに、家庭構成を再確認しました。さらに、この家庭には講中として誰がどう対応していくのか分担を決めて、家庭訪問を繰り返します。まずは名簿に載っている当人を励まして、直接お子さんにも会わせていただくようにし、この信心の大事を心を込めて語っていくのですが、その中で必ず変化が現われてきます。
ただし、通りいっぺんの話ではなく、「大聖人様のお使いである」とことらが肚を決めて臨まなければ、変化は起こりません。話をして、猛烈な拒否をされることもあります。
肚(はら)を決め家庭訪問未来のために今
このような変化を揉(も)め事ととらえて怯(ひる)む方もいらっしゃいますが、「本当の意味で家庭の幸せを願うなら、このぐらいの波風で怯んではいけませんよ。このままでは親子共々、成仏していけないのですよ」と、当事者を
励ましていきます。
毎週の折伏作戦会議のときに育成の推進状況も報告し合いますので、そのときに、皆で知恵を出し合い、対策を考えます。
また、なかなかご家族に会えない場合もあり、「会えた時が今生最後のチャンス」ぐらいの覚悟と勇気で、お話すべきことは必ずしていきます。
こうした中で、一層、家族内の様々な状況も判ってきて、新たな折伏の縁も少しずつですが出てきました。
法統相続の推進は折伏と同様、場合によってはそれ以上に困難ですし、魔も強く競います。しかし、御法主日如上人猊下が、
「折伏・育成の勝利の秘訣は師弟相対の信心と異体同心の団結(趣意)」
と常々御指南あそばされています。
これからも、法統相続の推進の活動が、必ず未来の菩提寺の発展に繋(つな)がると固く信じて、講頭を中心に支部一同、御住職様の御指導を根本に真剣な唱題で御仏智を戴き、精進してまいります。
(大白法 第一〇〇八号 令和元年七月一日)