質問:創価学会が、とうとう大御本尊様への信心を否定するに至りました。黙ってはならないと思い、毎日、学会員を折伏しているのですが、口汚く誹謗してくる会員ばかりで、全く話になりません。どうしたら、わかってもらえるのでしょうか?
回答:『法華経法師品』に、末法における折伏の在(あ)り方として”衣座室の三軌(えざしつのさんき)”ということが説かれています。
「如来の室に入り、如来の衣を着、如来の座に坐(ざ)して(中略)四衆(しゅう)の為に斯(こ)の経を説く」(法華経三二九㌻)
という文です。
まず「如来の室に入る」とは大慈悲の心を起こすこと、次に「如来の衣を着る」とは柔和忍辱(にゅうわにんにく)の心をもって侮辱(ぶじょく)や迫害を耐え忍ぶこと、さらに「如来の座に坐す」とは身を惜しむことなく不自惜身命(ふじしゃくしんみょう)で弘通することであります。御法主日如上人猊下は、この『法師品』の文を引いて、
『もし、折伏が思うようにならないというなら、いま一度、この三軌(さんき)に照らして自らの信心、自行化他の信心の
在(あ)り方(かた)を点検すべきであります」(平成十八年一月三日)
と御指南あそばされていますが、学会員への折伏においても、やはり、この衣座室の三軌をもって折伏することが大切ではないか、と思います。
平成三年に創価学会が破門となった当時は、一刻も早く、一人でも多くの学会員を脱会させることが急務でした。
また、一人でも多くの学会員を脱会させることで、日蓮正宗を滅ぼそうとする力を削(そ)がなくてはなりませんでした。
そのために、話を聞いてくれそうな人、すぐに脱会できそうな人を優先して折伏するという傾向があったと思われます。しかし、学会がかつての勢いも力も失って、正法の重大危機も遠のいた今日においては、この「法師品」に示された、本来の精神で折伏していくことこそ大切です。
では、衣座室の三軌をもって学会員を折伏することは、どういうことかといえば、まず、「大慈悲心を持つ」-つまり、幹部である、一般会員である、脱会できそうだ、凶信者だ等ということで選別するのではなく、全ての学会員を救うべく折伏していくことであります。それが仏様の「大慈悲心」に適(かな)う折伏です。
その結果、学会員から罵(ののし)られ、中傷(ちゅうしょう)され、辱(はずかし)めを受け、時には暴力を振るわれることも起きてくるかもしれません。
しかし、大聖人様は、折伏によって起きる法難は過去の謗法罪が一時(いっとき)に絞り出され消滅している姿であり、難を受けてこそ罪障が消滅して幸せになれるのである、と御教示くださっています。この道理と現証をしっかりと心に入れるなら、あらゆる難を耐え忍ぶ「柔和忍辱の心」に立つことができるのです。
そして学会員を折伏するために、時間を惜(お)しまず、体を惜しまず、心を砕いて全力であたっていく、そうした「不自惜身命」の姿で折伏していくことが大切です。
「法師品」には、この衣座室の三軌を守って折伏していく時、仏様が必ず変化の人々を遣(つか)わしてくださる。ことが約束されています。
つまり、自ら進んで話を聞く人や、共に信心をする同志が現れる、あるいは謗法者の迫害から護ってくれる人が現れる、というのです。これは、仏様の約束ですから、絶対に虚妄(こもう)はありません。
これまでも、この衣座室の三軌に徹(てっ)して折伏を貫いてきたところ、思わぬところから変化の人が現れて、折伏が大きく進んだ実証がありました。
創価学会員への折伏も同じことです。衣座室の三軌に立って、全ての学会員を対象に、法難に負けず全力で折伏を貫いていくーその実証が大聖人様の御意に適った時、
極悪の創価学会の中からも必ず変化の人が現れるはずであり、やがては会員が雪崩(なだれ)のように脱会する日が来ることは間違いありません。
そこまで励んでまいりましょう。
(暁鐘出版 大草一男 続質問会集の108ページより)
回答:『法華経法師品』に、末法における折伏の在(あ)り方として”衣座室の三軌(えざしつのさんき)”ということが説かれています。
「如来の室に入り、如来の衣を着、如来の座に坐(ざ)して(中略)四衆(しゅう)の為に斯(こ)の経を説く」(法華経三二九㌻)
という文です。
まず「如来の室に入る」とは大慈悲の心を起こすこと、次に「如来の衣を着る」とは柔和忍辱(にゅうわにんにく)の心をもって侮辱(ぶじょく)や迫害を耐え忍ぶこと、さらに「如来の座に坐す」とは身を惜しむことなく不自惜身命(ふじしゃくしんみょう)で弘通することであります。御法主日如上人猊下は、この『法師品』の文を引いて、
『もし、折伏が思うようにならないというなら、いま一度、この三軌(さんき)に照らして自らの信心、自行化他の信心の
在(あ)り方(かた)を点検すべきであります」(平成十八年一月三日)
と御指南あそばされていますが、学会員への折伏においても、やはり、この衣座室の三軌をもって折伏することが大切ではないか、と思います。
平成三年に創価学会が破門となった当時は、一刻も早く、一人でも多くの学会員を脱会させることが急務でした。
また、一人でも多くの学会員を脱会させることで、日蓮正宗を滅ぼそうとする力を削(そ)がなくてはなりませんでした。
そのために、話を聞いてくれそうな人、すぐに脱会できそうな人を優先して折伏するという傾向があったと思われます。しかし、学会がかつての勢いも力も失って、正法の重大危機も遠のいた今日においては、この「法師品」に示された、本来の精神で折伏していくことこそ大切です。
では、衣座室の三軌をもって学会員を折伏することは、どういうことかといえば、まず、「大慈悲心を持つ」-つまり、幹部である、一般会員である、脱会できそうだ、凶信者だ等ということで選別するのではなく、全ての学会員を救うべく折伏していくことであります。それが仏様の「大慈悲心」に適(かな)う折伏です。
その結果、学会員から罵(ののし)られ、中傷(ちゅうしょう)され、辱(はずかし)めを受け、時には暴力を振るわれることも起きてくるかもしれません。
しかし、大聖人様は、折伏によって起きる法難は過去の謗法罪が一時(いっとき)に絞り出され消滅している姿であり、難を受けてこそ罪障が消滅して幸せになれるのである、と御教示くださっています。この道理と現証をしっかりと心に入れるなら、あらゆる難を耐え忍ぶ「柔和忍辱の心」に立つことができるのです。
そして学会員を折伏するために、時間を惜(お)しまず、体を惜しまず、心を砕いて全力であたっていく、そうした「不自惜身命」の姿で折伏していくことが大切です。
「法師品」には、この衣座室の三軌を守って折伏していく時、仏様が必ず変化の人々を遣(つか)わしてくださる。ことが約束されています。
つまり、自ら進んで話を聞く人や、共に信心をする同志が現れる、あるいは謗法者の迫害から護ってくれる人が現れる、というのです。これは、仏様の約束ですから、絶対に虚妄(こもう)はありません。
これまでも、この衣座室の三軌に徹(てっ)して折伏を貫いてきたところ、思わぬところから変化の人が現れて、折伏が大きく進んだ実証がありました。
創価学会員への折伏も同じことです。衣座室の三軌に立って、全ての学会員を対象に、法難に負けず全力で折伏を貫いていくーその実証が大聖人様の御意に適った時、
極悪の創価学会の中からも必ず変化の人が現れるはずであり、やがては会員が雪崩(なだれ)のように脱会する日が来ることは間違いありません。
そこまで励んでまいりましょう。
(暁鐘出版 大草一男 続質問会集の108ページより)