総本山第六十七世日顕上人猊下御講義
(近現代における戒壇問題の経緯と真義より)
戒壇の意義と「国立戒壇」の語について
1.三大秘法の名目と日蓮大聖人の戒に関する御教示
まず、大聖人様の一期の御化導における肝要は三大秘法でありますが、このうちで宗旨(しゅうし)建立(こんりゅう)以来、
自らもお唱えあそばされ、衆生(しゅじょう)をも導かれたのが本門の題目であります。
さらに、本門の題目の上から法華経を身に当ててお振る舞いあそばすところの在り方から、それが佐渡における本尊の問題と
なるのであります。そして最後に戒壇という御指南があるのですが、そもそも大聖人様が三大秘法の名目を明らかにお示しになったのは、
佐渡からお帰りになって身延に入られ、直(ただ)ちに御著作になった『法華取要抄』であり、そこにおいて初めて、
「本門の本尊と戒壇と題目」(御書 七三六㌻)
という名目を顕わされたのであります。もっとも、その前に『法華行者値難事』の追伸(御書七二〇㌻)において、ややそれに近い、三大秘法
の内容と思われる御指南がありますが、これはあくまで追伸でありますから正規の著述という上からは、まだ
本門の三大秘法の名目をはっきり示されていないのです。
つまり『開目抄』にも『観心本尊抄』にも示されていないのであり、この名目をはっきり顕わされるのが
『法華取要抄』であります。もちろん、三大秘法のなかの特に本門本尊における人本尊(にんほんぞん)
法本尊の意義については、既に佐渡の国で開観両抄のほか、様々な重大御書のなかにお示しになっておるのですが、ただ三大秘法中の戒壇ということに
関しては具体的には何もないのです。
しかし、また一期の御化導から拝しますと、大聖人様が二十一歳の時に、一番最初に著(あらわ)されたのが
『戒体即身成仏義』であり、戒についてお示しになっているのであります。これには実に不思議な意味を感じるのです。
そのすぐあとに『戒法門』の御法門もありますが、これはもう少し一般的な意味を持っておるのであり、そのあとはほとんどが、戒定慧(かいじょうえ)
のうちの定慧の法門が芯になって、ずっとお示しになっておると思われます。
さらに戒壇については、今言いました『法華取要抄』以降において、本門の本尊・戒壇・題目という三大秘法の名目を挙げられた御指南があります。
ところが『法華取要抄』にも、さらには三大秘法のうちの本尊と題目の内容をはっきり述べられた『報恩抄』においても、ただ、
「本門の戒壇」(同 一〇三六㌻)
とお示しになっているだけで、戒壇の内容については全くお示しになっておられません。
弘安期に入って『本門戒体抄』という御書があるけれども、これは受戒のほうからの本門の意義を戒体として述べられておるわけですから、
直ちに法体の戒壇ということの御指南とはまた少し違うのです。
もちろん戒壇で戒を受けるわけだから、当然、関係はあるけれども、特に戒壇そのものの法門という意味ではないのです。
また『教行証御書』は健治三年(一一七七)年にお示しの御書ですが、これは良観が特に戒ということを言っておるので、その良観を破折し、
対応する意味から、大聖人様の御化導中の戒ということをおっしゃっております。
特に、有名な「金剛宝器戒」の御文(御書一一〇九㌻)を示されて、本門の妙法蓮華経の戒が最高の戒であるということが述べられておるのであります。
しかし、これは受持即持戒ということからして、定慧の二法が広まれば、受持即持戒が本門の法体の上に、その功徳が明らかに感ぜられるのです。したがって、
その意味からは、戒法を受持する場所がそのまま戒壇であるということが拝せられるのであります。
ところが、大聖人様は個人個人の成仏ということだけでなく、法界一切衆生の成仏という上から、当時の在り方として、南都六宗の時には
聖武(しょうむ)天皇、鑑真和尚(がんじんわじょう)、それから桓武(かんむ)天皇と伝教大師(でんぎょうだいし)というような意味をさらに
進めたところの、本門にいける国主と僧侶という関係からの教導においての戒壇の在り方を示されておるのであります。
(近現代における戒壇問題の経緯と真義より)
戒壇の意義と「国立戒壇」の語について
1.三大秘法の名目と日蓮大聖人の戒に関する御教示
まず、大聖人様の一期の御化導における肝要は三大秘法でありますが、このうちで宗旨(しゅうし)建立(こんりゅう)以来、
自らもお唱えあそばされ、衆生(しゅじょう)をも導かれたのが本門の題目であります。
さらに、本門の題目の上から法華経を身に当ててお振る舞いあそばすところの在り方から、それが佐渡における本尊の問題と
なるのであります。そして最後に戒壇という御指南があるのですが、そもそも大聖人様が三大秘法の名目を明らかにお示しになったのは、
佐渡からお帰りになって身延に入られ、直(ただ)ちに御著作になった『法華取要抄』であり、そこにおいて初めて、
「本門の本尊と戒壇と題目」(御書 七三六㌻)
という名目を顕わされたのであります。もっとも、その前に『法華行者値難事』の追伸(御書七二〇㌻)において、ややそれに近い、三大秘法
の内容と思われる御指南がありますが、これはあくまで追伸でありますから正規の著述という上からは、まだ
本門の三大秘法の名目をはっきり示されていないのです。
つまり『開目抄』にも『観心本尊抄』にも示されていないのであり、この名目をはっきり顕わされるのが
『法華取要抄』であります。もちろん、三大秘法のなかの特に本門本尊における人本尊(にんほんぞん)
法本尊の意義については、既に佐渡の国で開観両抄のほか、様々な重大御書のなかにお示しになっておるのですが、ただ三大秘法中の戒壇ということに
関しては具体的には何もないのです。
しかし、また一期の御化導から拝しますと、大聖人様が二十一歳の時に、一番最初に著(あらわ)されたのが
『戒体即身成仏義』であり、戒についてお示しになっているのであります。これには実に不思議な意味を感じるのです。
そのすぐあとに『戒法門』の御法門もありますが、これはもう少し一般的な意味を持っておるのであり、そのあとはほとんどが、戒定慧(かいじょうえ)
のうちの定慧の法門が芯になって、ずっとお示しになっておると思われます。
さらに戒壇については、今言いました『法華取要抄』以降において、本門の本尊・戒壇・題目という三大秘法の名目を挙げられた御指南があります。
ところが『法華取要抄』にも、さらには三大秘法のうちの本尊と題目の内容をはっきり述べられた『報恩抄』においても、ただ、
「本門の戒壇」(同 一〇三六㌻)
とお示しになっているだけで、戒壇の内容については全くお示しになっておられません。
弘安期に入って『本門戒体抄』という御書があるけれども、これは受戒のほうからの本門の意義を戒体として述べられておるわけですから、
直ちに法体の戒壇ということの御指南とはまた少し違うのです。
もちろん戒壇で戒を受けるわけだから、当然、関係はあるけれども、特に戒壇そのものの法門という意味ではないのです。
また『教行証御書』は健治三年(一一七七)年にお示しの御書ですが、これは良観が特に戒ということを言っておるので、その良観を破折し、
対応する意味から、大聖人様の御化導中の戒ということをおっしゃっております。
特に、有名な「金剛宝器戒」の御文(御書一一〇九㌻)を示されて、本門の妙法蓮華経の戒が最高の戒であるということが述べられておるのであります。
しかし、これは受持即持戒ということからして、定慧の二法が広まれば、受持即持戒が本門の法体の上に、その功徳が明らかに感ぜられるのです。したがって、
その意味からは、戒法を受持する場所がそのまま戒壇であるということが拝せられるのであります。
ところが、大聖人様は個人個人の成仏ということだけでなく、法界一切衆生の成仏という上から、当時の在り方として、南都六宗の時には
聖武(しょうむ)天皇、鑑真和尚(がんじんわじょう)、それから桓武(かんむ)天皇と伝教大師(でんぎょうだいし)というような意味をさらに
進めたところの、本門にいける国主と僧侶という関係からの教導においての戒壇の在り方を示されておるのであります。