本宗において、「国立戒壇」の語を用いられたのは、第五十九世日亨上人、第六十四世日昇上人、第六十五世日淳上人、第六十六世日達上人の四上人ですが、いずれも”広宣流布達成時に建立されるべき本門寺の戒壇”という説明を省略するために、当時日蓮門下の一部に通用していた用語を便宜(べんぎ)上使われただけで、けっして「田中智学の模倣」をしたのではありません。
それに対して浅井は、言葉だけでなく、田中智学の思想に倣(なら)い、「国立戒壇」に固執(こしゅう)しているので、「模倣」であると破折(はしゃく)しているのです。
それに対して浅井は、言葉だけでなく、田中智学の思想に倣(なら)い、「国立戒壇」に固執(こしゅう)しているので、「模倣」であると破折(はしゃく)しているのです。