浅井は『千日尼御前御返事』の、心こそ大切に候へ(御書 一二九〇)
との御教示をもって「自分達は大御本尊を直接拝せる」などと言っていますが、そもそも『千日尼御前御返事』を賜(たまわ)った阿仏房夫妻は、大聖人から直々に御本尊を授与された篤信(とくしん)の檀越(だんのつ)であり、朝夕、持仏堂(じぶつどう)の御本尊を礼拝(らいはい)し、勤行·唱題に励んでいたのです。浅井が言う遥拝勤行なるものをしていたのではありません。
「したがって「心こそ大切に候へ」とは、夫(阿仏房)を身延の大聖人のもとへ送り出した千日尼の志を讃えられたものであり、顕正会の遥拝勤行とは全く無関係なお言葉です。
との御教示をもって「自分達は大御本尊を直接拝せる」などと言っていますが、そもそも『千日尼御前御返事』を賜(たまわ)った阿仏房夫妻は、大聖人から直々に御本尊を授与された篤信(とくしん)の檀越(だんのつ)であり、朝夕、持仏堂(じぶつどう)の御本尊を礼拝(らいはい)し、勤行·唱題に励んでいたのです。浅井が言う遥拝勤行なるものをしていたのではありません。
「したがって「心こそ大切に候へ」とは、夫(阿仏房)を身延の大聖人のもとへ送り出した千日尼の志を讃えられたものであり、顕正会の遥拝勤行とは全く無関係なお言葉です。