本宗の血脈相承は、その形式·内容ともに当事者以外には一切窺(うかが)い知れないものであり、余人(よじん)がこれに疑義を差し挟むことは、古来、固く誠(いまし)められています。
日達上人から日顕上人への御相承も、余人の与(あずか)り知らぬ秘儀として行われました。そして、日達上人御遷化直後、当時の椎名重役が宗内に対して、日達上人から日顕上人への御相承がすでに行われたことを発表され、僧俗一同は新御法主上人のもとに一致団結して精進するよう論(さと)されたのです(大日蓮 昭和五四年九月号六○参照)。
宗門の僧俗一同は、日顕上人への御相承をごく自然に拝承(はいしょう)して、疑いを持つ人はいませんでした。
当時すでに宗外にあった浅井昭衛でさえも、日顕上人への御相承について、
今日に至るまで代を重ねること六十七、一系連綿(れんめん)、一時も断絶することなく、一器の水を一器に写す瀉(うつ)すごとく血脈が相続されております(傍線編者·冨士 昭和六一年一二月号三)
と述べていたではありませんか。
また、日達上人から日顕上人の御相承に関する客観的証拠や状況的証拠に類するものは数多くありますが、古来宗門では、当事者のお二方が自ら発表されたこと以外は、余人がその証拠などについて議論することは本末転倒であり、
断片的な証拠を列挙することなどは、あえてしないのです。
要は、御相承に疑いを持つ人は、どのような証拠があってもそれを信じようとはしないものなのです。
日達上人から日顕上人への御相承も、余人の与(あずか)り知らぬ秘儀として行われました。そして、日達上人御遷化直後、当時の椎名重役が宗内に対して、日達上人から日顕上人への御相承がすでに行われたことを発表され、僧俗一同は新御法主上人のもとに一致団結して精進するよう論(さと)されたのです(大日蓮 昭和五四年九月号六○参照)。
宗門の僧俗一同は、日顕上人への御相承をごく自然に拝承(はいしょう)して、疑いを持つ人はいませんでした。
当時すでに宗外にあった浅井昭衛でさえも、日顕上人への御相承について、
今日に至るまで代を重ねること六十七、一系連綿(れんめん)、一時も断絶することなく、一器の水を一器に写す瀉(うつ)すごとく血脈が相続されております(傍線編者·冨士 昭和六一年一二月号三)
と述べていたではありませんか。
また、日達上人から日顕上人の御相承に関する客観的証拠や状況的証拠に類するものは数多くありますが、古来宗門では、当事者のお二方が自ら発表されたこと以外は、余人がその証拠などについて議論することは本末転倒であり、
断片的な証拠を列挙することなどは、あえてしないのです。
要は、御相承に疑いを持つ人は、どのような証拠があってもそれを信じようとはしないものなのです。