日達上人は昭和四十五年の霊宝虫払大法会の御説法において、広宣流布達成時に建立される本門寺の戒壇について、『三大秘法抄』を引かれ、
有徳王(うとくおう),覚徳比丘(びく)のその昔の王仏冥合の姿を末法濁悪(じょくあく)の未来に移し顕(あら)わしたならば、必ず勅宣(ちょくせん)並に御教書(みぎょうしょ)があって霊山(りょうぜん)浄土に似たる最勝の地を尋(たず)ねられて戒壇が建立(こんりゅう)出来るとの大聖人の仰せでありますから私は未来の大理想として信じ奉るのであります
(昭和四五年四月六日 霊宝虫払大法会御説法·宗務院文書)
と御指南されました。
浅井は、このお言葉が、正本堂と未来の大理想 の戒壇とは異なると御指南されたものと理解し、それを指して「本心吐露(とろ)」(基礎教学書 三三五)と言っています。
しかし日達上人は、その同じ御説法のなかで、
今将(まさ)に世間で噂されておる国立戒壇などと云(い)う言葉に惑(まど)わされず、ただ広宣流布の時に始めてできる戒壇であります。それが王立であろうが国立であろうが民衆立であろうが、全ての正信の信者が集まって戒壇の大御本尊を拝し奉る処(ところ)こそ、何処でも事の戒壊壇でございます。富士山本門寺とは、当山であります。当山が大石寺と称しているのは、未だ広宣流布せざる間は暫(しばら)く大石寺と称しているのでありまして、時来(きた)らば本門寺と名乗るべきであります
(昭和四五年四月六日霊宝虫払大法会御説法·宗務院文書)
と仰せられ、浅井の言う「国立戒壇」は本宗の教義にないものであり、理想の大戒壇は大石寺に建立されることを明確に御指南されています。
有徳王(うとくおう),覚徳比丘(びく)のその昔の王仏冥合の姿を末法濁悪(じょくあく)の未来に移し顕(あら)わしたならば、必ず勅宣(ちょくせん)並に御教書(みぎょうしょ)があって霊山(りょうぜん)浄土に似たる最勝の地を尋(たず)ねられて戒壇が建立(こんりゅう)出来るとの大聖人の仰せでありますから私は未来の大理想として信じ奉るのであります
(昭和四五年四月六日 霊宝虫払大法会御説法·宗務院文書)
と御指南されました。
浅井は、このお言葉が、正本堂と未来の大理想 の戒壇とは異なると御指南されたものと理解し、それを指して「本心吐露(とろ)」(基礎教学書 三三五)と言っています。
しかし日達上人は、その同じ御説法のなかで、
今将(まさ)に世間で噂されておる国立戒壇などと云(い)う言葉に惑(まど)わされず、ただ広宣流布の時に始めてできる戒壇であります。それが王立であろうが国立であろうが民衆立であろうが、全ての正信の信者が集まって戒壇の大御本尊を拝し奉る処(ところ)こそ、何処でも事の戒壊壇でございます。富士山本門寺とは、当山であります。当山が大石寺と称しているのは、未だ広宣流布せざる間は暫(しばら)く大石寺と称しているのでありまして、時来(きた)らば本門寺と名乗るべきであります
(昭和四五年四月六日霊宝虫払大法会御説法·宗務院文書)
と仰せられ、浅井の言う「国立戒壇」は本宗の教義にないものであり、理想の大戒壇は大石寺に建立されることを明確に御指南されています。