日昇上人は、昭和三十年十一月二十三日、奉安殿落慶における「慶賛文」(大日蓮 昭和三〇年一二月号 一四)で、確かに「国立戒壇の建立を持ちて六百七十余年」と仰せられていますが、ここで仰せの「国立戒壇」とは広宣流布の暁に建立される戒壇という意味で、田中智学や浅井昭衛が言うような、大聖人の仏法を日本の国教にして、国立の戒壇を建てるというような偏狭(へんきょう)な意味ではありません。
「慶賛文」の全文を拝すると、中ほどには「一天四海(いってんしかい)に広宣流布の時」と仰せられ、後段では「来るべき国立戒壇建立の暁」と仰せられていることからもわかるように、この二つの御文は同じことを意味しています。
したがって日昇上人は、広宣流布の暁を表現するために、当時通用していた「国立戒壇」という語句を便宜上、使用されたに過ぎません。
「慶賛文」の全文を拝すると、中ほどには「一天四海(いってんしかい)に広宣流布の時」と仰せられ、後段では「来るべき国立戒壇建立の暁」と仰せられていることからもわかるように、この二つの御文は同じことを意味しています。
したがって日昇上人は、広宣流布の暁を表現するために、当時通用していた「国立戒壇」という語句を便宜上、使用されたに過ぎません。