この言葉は、当時の妙信講が正本堂の御供養に参加したことに対する言い訳です。ここで言う「証惑」とは、正本堂を実質的な戒壇とすることを指しているのでしょうが、当時の浅井昭衛は、第一回正本堂建設委員会の日達上人の御指南、および「正本堂建立御供養趣意書」の趣旨に感激して、
意義重大なる正本堂(中略)宗門全体の重大な慶事に、妙信講も宗門の一翼(いちよく)として講中(こうじゅう)の全力を挙げ真心を込めて貌下(げいか)に御供養をさせて頂く事になりました。(拍手)
(冨士昭和四○年七月号八)
と講員を激励し、さらに妙信講の方針として、
正本堂建立の御供養が発表され、各組織を通してその意義と根本精神の徹底が図られています。この御供養は、宗門の歴史をつらぬく大事で、貌下を通して戒旦の大御本尊様への御奉公であり、私達の生涯に二度とはない大福運(ふくうん)であります(同一二)
と、御供養を啓蒙していたのです。ちなみに「趣意書」には、
正本堂建立は、実質的な戒壇建立であり、広宣流布の達成である
(大日蓮 昭和四○年五月号一四)
と明記されていました。
当時、正本堂が実質的な戒壇の意義を持っていたとする、これほど明白な文言を、浅井が今さら知らなかったなどの言い逃れは通用しません。
意義重大なる正本堂(中略)宗門全体の重大な慶事に、妙信講も宗門の一翼(いちよく)として講中(こうじゅう)の全力を挙げ真心を込めて貌下(げいか)に御供養をさせて頂く事になりました。(拍手)
(冨士昭和四○年七月号八)
と講員を激励し、さらに妙信講の方針として、
正本堂建立の御供養が発表され、各組織を通してその意義と根本精神の徹底が図られています。この御供養は、宗門の歴史をつらぬく大事で、貌下を通して戒旦の大御本尊様への御奉公であり、私達の生涯に二度とはない大福運(ふくうん)であります(同一二)
と、御供養を啓蒙していたのです。ちなみに「趣意書」には、
正本堂建立は、実質的な戒壇建立であり、広宣流布の達成である
(大日蓮 昭和四○年五月号一四)
と明記されていました。
当時、正本堂が実質的な戒壇の意義を持っていたとする、これほど明白な文言を、浅井が今さら知らなかったなどの言い逃れは通用しません。