日亨上人は、戒壇の大御本尊への内拝について
開山上人は、これ(大御本尊 ※)を弘安二年に密附(みっぷ)せられて、正しき広布の時まで苦心して秘蔵せられたのであるが、上代(じょうだい)にはこのことが自他に喧伝(けんでん)
せられなかったが、いずれの時代(中古か)、からか、遠き広布を待ちかねて特縁により強信(ごうしん)により内拝のやむなきにいたりま)はる所の弘安(こうあん)二年の
大御本尊」として、戒壇本尊とは書かれなかったのは、大いにこの味わいがある
(※編者注·詳伝 二七七)
と御指南されています
浅井は、日亨上人の「もったいない」とのお言葉を、御開扉を制止したものと曲解(きょっかい)しています。
しかし、ここで仰せの「もったいない」とは、古来総本山において相伝・厳護されてきた大御本尊を内拝できることが、「おそれ多く、かたじけない」
ことであるとの意であり、御開扉を中止して大御本尊を秘蔵すべきであるということではありません。むしろ、このお言葉は
報恩謝徳(ほうおんしゃとく)の念をもって御開扉をいただくよう教導されているのです。
なお、日亨上人はもとより、御歴代上人は僧俗の願いを容(い)れて大御本尊への内拝を許してこられました。
顕正会の邪難は、大御本尊の内拝を許されない誇法(ほうぼう)団体が、思いつきで誹謗(ひぼう)しているに過ぎないのです。
開山上人は、これ(大御本尊 ※)を弘安二年に密附(みっぷ)せられて、正しき広布の時まで苦心して秘蔵せられたのであるが、上代(じょうだい)にはこのことが自他に喧伝(けんでん)
せられなかったが、いずれの時代(中古か)、からか、遠き広布を待ちかねて特縁により強信(ごうしん)により内拝のやむなきにいたりま)はる所の弘安(こうあん)二年の
大御本尊」として、戒壇本尊とは書かれなかったのは、大いにこの味わいがある
(※編者注·詳伝 二七七)
と御指南されています
浅井は、日亨上人の「もったいない」とのお言葉を、御開扉を制止したものと曲解(きょっかい)しています。
しかし、ここで仰せの「もったいない」とは、古来総本山において相伝・厳護されてきた大御本尊を内拝できることが、「おそれ多く、かたじけない」
ことであるとの意であり、御開扉を中止して大御本尊を秘蔵すべきであるということではありません。むしろ、このお言葉は
報恩謝徳(ほうおんしゃとく)の念をもって御開扉をいただくよう教導されているのです。
なお、日亨上人はもとより、御歴代上人は僧俗の願いを容(い)れて大御本尊への内拝を許してこられました。
顕正会の邪難は、大御本尊の内拝を許されない誇法(ほうぼう)団体が、思いつきで誹謗(ひぼう)しているに過ぎないのです。