日蓮正宗とは無関係の誇法(ほうぼう)団体に、本宗の大御本尊について心配してもらう必要はありません。
本門戒壇の大御本尊は、本宗信仰の根本の御尊体として、総本山大石寺奉安堂に厳護されています。
また第二十六世日寛上人は『寿量演説抄』に、
未(いま)だ時至らざる故に直(ただ)ちに事(じ)の戒壇之れ無しと雖(いえど)も、既(すで)に本門の戒壇の御本尊在(ましま)す上は其(そ)の住処は即戒壇なり。其の本尊に打ち向(むか)い戒壇の地に住して南無妙法蓮華経と唱ふる則(とき)は本門の題目なり。志有(あ)らん人は登山して拝し給(たま)へ
(歴然 四-一四五、富要一〇ー一三一)
と仰せられ、純信の徒(と)に対して大石寺へ登山の上、大御本尊への内拝を勧められているのです。
浅井が総本山大石寺での御開扉に言いがかりをつけることは、まさしく日寛上人の御指南を足蹴(あしげ)にする行為と言うべきです。
本門戒壇の大御本尊は、本宗信仰の根本の御尊体として、総本山大石寺奉安堂に厳護されています。
また第二十六世日寛上人は『寿量演説抄』に、
未(いま)だ時至らざる故に直(ただ)ちに事(じ)の戒壇之れ無しと雖(いえど)も、既(すで)に本門の戒壇の御本尊在(ましま)す上は其(そ)の住処は即戒壇なり。其の本尊に打ち向(むか)い戒壇の地に住して南無妙法蓮華経と唱ふる則(とき)は本門の題目なり。志有(あ)らん人は登山して拝し給(たま)へ
(歴然 四-一四五、富要一〇ー一三一)
と仰せられ、純信の徒(と)に対して大石寺へ登山の上、大御本尊への内拝を勧められているのです。
浅井が総本山大石寺での御開扉に言いがかりをつけることは、まさしく日寛上人の御指南を足蹴(あしげ)にする行為と言うべきです。