「陰謀」とは、密(ひそ)かに悪事を企(たくら)むことですが、日顕上人が池田大作と結託して悪事を企むなどあろうはずがありません。
日顕上人は平成二年の大石寺開創七百年慶讚大法要において、
名実共(とも)ナル大本門寺ノ寺号公称八事ノ戒法ノ本義更ニ未来ニ於(おい)テー天四海ニ光被(こうひ)セラルへキ妙法流布ノ力作(りきさ)因縁ニ依(よ)ルヘシ (大日蓮 平成二年一一月号八七)
と仰せられ、本門寺改称は未来のことであると明言されています。
のちに日顕上人は
私は信念を持っているのです。いくらなんでも、あのような間違った流れや様々な形のあったなかで、しかも池田のわがまま勝手な姿の色々と存するなかにおいて、今現在、直ちに「本門寺の戒壇」と称すべきではないと思っていました。
しかし池田は(中略)私が「大石寺を本門寺と改称したい」とか、「改称する」と言うことを期待していたと思うのです (中略)私は一宗を統率させていただくという意味において、安易に「本門寺と改称する」などとは言えないし、
また、あそこで「本門寺にする」とか、「本門寺になる」というような意味のことを言わなくて、私はよかったと思っておるのであります。
(近現代における戒壇問題の経緯と真義 九四)
と正直に述べられています
つまり、自らの名誉のために本門寺改称を望んでいたであろう池田の慢心を、日顕上人が退けられたというだけのことです。
日顕上人は平成二年の大石寺開創七百年慶讚大法要において、
名実共(とも)ナル大本門寺ノ寺号公称八事ノ戒法ノ本義更ニ未来ニ於(おい)テー天四海ニ光被(こうひ)セラルへキ妙法流布ノ力作(りきさ)因縁ニ依(よ)ルヘシ (大日蓮 平成二年一一月号八七)
と仰せられ、本門寺改称は未来のことであると明言されています。
のちに日顕上人は
私は信念を持っているのです。いくらなんでも、あのような間違った流れや様々な形のあったなかで、しかも池田のわがまま勝手な姿の色々と存するなかにおいて、今現在、直ちに「本門寺の戒壇」と称すべきではないと思っていました。
しかし池田は(中略)私が「大石寺を本門寺と改称したい」とか、「改称する」と言うことを期待していたと思うのです (中略)私は一宗を統率させていただくという意味において、安易に「本門寺と改称する」などとは言えないし、
また、あそこで「本門寺にする」とか、「本門寺になる」というような意味のことを言わなくて、私はよかったと思っておるのであります。
(近現代における戒壇問題の経緯と真義 九四)
と正直に述べられています
つまり、自らの名誉のために本門寺改称を望んでいたであろう池田の慢心を、日顕上人が退けられたというだけのことです。