日達上人は、正本堂に本門戒壇 の大御本尊を御安置する意義の上から「現時における事の戒壇」(訓論・昭和四十七年四月二十八日)と定義されましたが、この御指南は本門戒壇の大御本尊在(ましま)す所は、どこであっても事の戒壇とする、
という本宗伝統の教義に基づくものであり、浅井が言うような「正本堂を御遺命の戒壇に仕立て上げるために事の戒壇の定義を変更した」
などというも のではありません。
その証拠として、次の三文を挙げます。
①第二十六世日寛上人御指南(『三大秘法抄之事』)
という本宗伝統の教義に基づくものであり、浅井が言うような「正本堂を御遺命の戒壇に仕立て上げるために事の戒壇の定義を変更した」
などというも のではありません。
その証拠として、次の三文を挙げます。
①第二十六世日寛上人御指南(『三大秘法抄之事』)
(傍線編者・日相上人筆記・達全 二ー六ー四二六)
②第五十二世日霑上人御指南 (『三大秘法談』)
未タ廣布/時不レ至ヲ事相ノ戒旦御建立ナシトイヘドモ此ノ道場即是レ事ノ戒旦真ノ霊山事ノ寂光ニシテ一度(ひとたび)モ此ノ砌二望マン輩 八無始ノ罪障忽(たちまち)ニ消滅シテ三業ノ悪轉(てん)ジテ三徳ヲ成ゼンコト毛頭疑アルベカラズ(研教二三 一 四一八)
③第六十世日開上人御指南(『御戒壇説法』)
其(そ)の戒壇堂に安置し奉る大御本尊、 今眼前に当山に在(ましま)す事なれば、此ノ所 即是(すわちちこれ)本門事の戒壇、真の霊山、事の寂光にして、若(も)し此(こ)の霊場に一度も詣(もう)でん輩(やから)は、無始の罪障速やかに消滅し、三業の悪転じて三徳を成ぜん事、毛頭疑いあるべからず(日開上人全集 六)
これら御歴代上人の御指南に明らかなように、広布以前においても、古来、本門戒壇の大御本尊在す所は、事の戒壇と称してきたのです。
②第五十二世日霑上人御指南 (『三大秘法談』)
未タ廣布/時不レ至ヲ事相ノ戒旦御建立ナシトイヘドモ此ノ道場即是レ事ノ戒旦真ノ霊山事ノ寂光ニシテ一度(ひとたび)モ此ノ砌二望マン輩 八無始ノ罪障忽(たちまち)ニ消滅シテ三業ノ悪轉(てん)ジテ三徳ヲ成ゼンコト毛頭疑アルベカラズ(研教二三 一 四一八)
③第六十世日開上人御指南(『御戒壇説法』)
其(そ)の戒壇堂に安置し奉る大御本尊、 今眼前に当山に在(ましま)す事なれば、此ノ所 即是(すわちちこれ)本門事の戒壇、真の霊山、事の寂光にして、若(も)し此(こ)の霊場に一度も詣(もう)でん輩(やから)は、無始の罪障速やかに消滅し、三業の悪転じて三徳を成ぜん事、毛頭疑いあるべからず(日開上人全集 六)
これら御歴代上人の御指南に明らかなように、広布以前においても、古来、本門戒壇の大御本尊在す所は、事の戒壇と称してきたのです。