正本堂を「偽戒壇,魔の殿堂」と言うならば、浅井甚兵衛·昭衛父子は、なぜ正本堂での御開扉を願い出たのでしょうか。
それについて、妙信講(当時) 発行の『冨士』(昭和五〇年五月号五五・五七) には、浅井父子が昭和四十八年五月と昭和四十九年四月の二回にわたって正本堂での御開扉を願い出たことが記載されています。
また「正本堂は国立戒壇を否定するために建てた」などと言っていますが、
「国立戒壇」などはもともと日蓮正宗にない教義であり、言葉です。存在しない教義や言葉を否定するためにわざわざ正本堂を建てるわけがありません。
このようなことを主張する浅井昭衛は、我見(がけん)に執(とら)われた誇大(こだい)妄想という他ないのです。
それについて、妙信講(当時) 発行の『冨士』(昭和五〇年五月号五五・五七) には、浅井父子が昭和四十八年五月と昭和四十九年四月の二回にわたって正本堂での御開扉を願い出たことが記載されています。
また「正本堂は国立戒壇を否定するために建てた」などと言っていますが、
「国立戒壇」などはもともと日蓮正宗にない教義であり、言葉です。存在しない教義や言葉を否定するためにわざわざ正本堂を建てるわけがありません。
このようなことを主張する浅井昭衛は、我見(がけん)に執(とら)われた誇大(こだい)妄想という他ないのです。