ここで浅井昭衛は、田中智学が唱えた「国立戒壇」は、もともと日蓮正宗の教義にあったものを盗んで世に宣伝したものだと言っています。
しかし大聖人の御書にも、日興上人の御教示にも、日寛上人の御指南にも、「国立戒壇」なる言葉はもちろんのこと、そのような思想も存在しないのです。
ここで日淳上人が仰せられているのは、田中智学が日蓮正宗の本尊論をはじめとする教義全般にわたって勡窃(ひょうせつ)や模倣(もほう)をしているということです。なかでも戒壇について田中智学は、富士戒壇説を自説のごとく主張し、それに加えて国粋(こくすい)主義的発想による国立戒壇論を創唱(そうしょう)したのです。その田中智学の尻馬(しりうま)に乗っているのが浅井昭衛です。
しかし大聖人の御書にも、日興上人の御教示にも、日寛上人の御指南にも、「国立戒壇」なる言葉はもちろんのこと、そのような思想も存在しないのです。
ここで日淳上人が仰せられているのは、田中智学が日蓮正宗の本尊論をはじめとする教義全般にわたって勡窃(ひょうせつ)や模倣(もほう)をしているということです。なかでも戒壇について田中智学は、富士戒壇説を自説のごとく主張し、それに加えて国粋(こくすい)主義的発想による国立戒壇論を創唱(そうしょう)したのです。その田中智学の尻馬(しりうま)に乗っているのが浅井昭衛です。