第六十六世日達上人は昭和四十五年五月三日、「国立戒壇」という名称を今後使用しないことを決められたのであり、大聖人の御遺命である本門寺の戒壇建立そのものを否定されたのではありません。
これについては、日達上人が同年五月三十一日開催の第十二回寺族同心会大会において、
国立戒壇という名称を使わなかったと言っても決して、「三大秘法抄」の戒壇のご文、あるいは「一期弘法抄」の戒壇のご文に少しもそれを否定したり謗(そし)ったり、あるいは不敬(ふけい)にあたるようなことを少しもないのでございます。もちろん、「三大秘法抄」とか「一期弘法抄」に国立という名前は使っておりません
(達全 二 - 六 -三二、大日蓮 昭和四五年七月号 一九)
と御指南されているとおりです。
大聖人も日興上人も日寛上人も使用されていない「国立戒壇」の四文字を使用しないからと言って、御遺命違背だと騒ぐ顕正会こそ増上慢(ぞうじょうまん)であり、大謗法(ほうぼう)です。
浅井昭衛は、日達上人の「今後は使用しない」との御指南を「御遺命を捨てた」とすり替え、会員を扇動(せんどう)しているのです。
これについては、日達上人が同年五月三十一日開催の第十二回寺族同心会大会において、
国立戒壇という名称を使わなかったと言っても決して、「三大秘法抄」の戒壇のご文、あるいは「一期弘法抄」の戒壇のご文に少しもそれを否定したり謗(そし)ったり、あるいは不敬(ふけい)にあたるようなことを少しもないのでございます。もちろん、「三大秘法抄」とか「一期弘法抄」に国立という名前は使っておりません
(達全 二 - 六 -三二、大日蓮 昭和四五年七月号 一九)
と御指南されているとおりです。
大聖人も日興上人も日寛上人も使用されていない「国立戒壇」の四文字を使用しないからと言って、御遺命違背だと騒ぐ顕正会こそ増上慢(ぞうじょうまん)であり、大謗法(ほうぼう)です。
浅井昭衛は、日達上人の「今後は使用しない」との御指南を「御遺命を捨てた」とすり替え、会員を扇動(せんどう)しているのです。