浅井昭衛は「国立戒壇が建立されれば、凶悪犯罪などは、 朝露のごとく消滅する」と言い、その理由として、
国立戒壇を建立すれば、本門戒壇の大御本尊 の力用(りきゆう)により、国家そのものが防非止悪(ぼうひしあく)の当体となる(基礎教学書 二九九)
と言っています。しかし「国家そのものが防非止悪の当体となる」などという考えは、 日蓮大聖人の教えではありません。
また「国立戒壇」でなければ、理想社会や仏国土建設が成立しないと考えるのは、浅井の独断に過ぎません。
日蓮大聖人は広宣流布 の事相について『如説修行抄』に、
方民一同に南無妙法蓮華経と唱へ奉らば、吹く風岐をならさず、雨土くれをくだ(砕)かず代はぎのう(義農)の世となりて、今生には不祥の災難を払ひて長生(ちょうしょう)の術を得、人法共に不老不死の理(ことわり) 顕はれん(御書 六七一)
と仰せられ、一国乃至(ないし)全世界の民衆が本門戒壇の大御本尊を信じ、南無妙法蓮華経と唱える修行によって、真の理想社会が現出(げんしゅつ)すると御教示です。
そこに「国立戒壇」が必要だということは仰せになっていません。
浅井の主張は荒唐無稽(こんとうむけい)の論です。
国立戒壇を建立すれば、本門戒壇の大御本尊 の力用(りきゆう)により、国家そのものが防非止悪(ぼうひしあく)の当体となる(基礎教学書 二九九)
と言っています。しかし「国家そのものが防非止悪の当体となる」などという考えは、 日蓮大聖人の教えではありません。
また「国立戒壇」でなければ、理想社会や仏国土建設が成立しないと考えるのは、浅井の独断に過ぎません。
日蓮大聖人は広宣流布 の事相について『如説修行抄』に、
方民一同に南無妙法蓮華経と唱へ奉らば、吹く風岐をならさず、雨土くれをくだ(砕)かず代はぎのう(義農)の世となりて、今生には不祥の災難を払ひて長生(ちょうしょう)の術を得、人法共に不老不死の理(ことわり) 顕はれん(御書 六七一)
と仰せられ、一国乃至(ないし)全世界の民衆が本門戒壇の大御本尊を信じ、南無妙法蓮華経と唱える修行によって、真の理想社会が現出(げんしゅつ)すると御教示です。
そこに「国立戒壇」が必要だということは仰せになっていません。
浅井の主張は荒唐無稽(こんとうむけい)の論です。