A.あなたは、御書には大御本尊と他の本尊との違いが書かれていないと言いますが、日蓮大聖人の仏法において、
御本尊に関することは極理に属することであり、日蓮大聖人は、その記述について重々の配慮をなされ、慎重を期されました。しかし、『本因妙抄』には、
「此の血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法(ちゃくちゃくざすでんぽう)の書、塔中相承(たっちゅうそうじょう)の稟承(ぼんじょう)唯授一人の血脈なり」 (御書一六八四㌻)
とあり、日蓮大聖人の極理である御本尊の大事は、唯授一人の血脈相承をもって日興上人に伝えられたことを明かされています。また『一代聖教(しょうぎょう)大意』には、
「此の経は相伝に有らざれば知り難し」(同九二㌻)
と仰せられています。
この御文について、日寛上人は『撰時抄愚記』に、
「宗祖の云わく『此の経は相伝に非(あら)ずんば知り難(がた)し』等云云。『塔中及び蓮・興・目{等云云」(文段三三七㌻)
と記され、『一代聖教大意』に仰せられる「相伝」とは、霊山(りょうぜん)での付嘱および末法における日蓮大聖人から日興上人、そして日目上人へと伝えられる唯授一人の血脈相承を指す言葉であり、その相伝の内容は血脈伝持の人以外には知りえないことである、と指南されています。
しかし、あえて相伝の上から大御本尊とその他の御本尊との違いについて言えば、『日興跡条々事』(にっこうあとじょうじょうのこと)には、
「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし」
(御書一八八三㌻・傍線筆者)
とあり、また日寛上人は、
「弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟の中の究竟、本懐の中の本懐なり」(観心本尊抄文段・文段一九七㌻・傍線筆者)
と仰せられ、弘安二年の大御本尊こそ根本の御本尊である旨の御指南をされています。
あなたが言うところの「大御本尊とその他の御本尊との差違」などは、すべて「本尊の大事」に含まれる事柄であり、血脈相承を受けられた御法主上人以外の者が、とやかく議論すべきことではないのです。
御本尊に関することは極理に属することであり、日蓮大聖人は、その記述について重々の配慮をなされ、慎重を期されました。しかし、『本因妙抄』には、
「此の血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法(ちゃくちゃくざすでんぽう)の書、塔中相承(たっちゅうそうじょう)の稟承(ぼんじょう)唯授一人の血脈なり」 (御書一六八四㌻)
とあり、日蓮大聖人の極理である御本尊の大事は、唯授一人の血脈相承をもって日興上人に伝えられたことを明かされています。また『一代聖教(しょうぎょう)大意』には、
「此の経は相伝に有らざれば知り難し」(同九二㌻)
と仰せられています。
この御文について、日寛上人は『撰時抄愚記』に、
「宗祖の云わく『此の経は相伝に非(あら)ずんば知り難(がた)し』等云云。『塔中及び蓮・興・目{等云云」(文段三三七㌻)
と記され、『一代聖教大意』に仰せられる「相伝」とは、霊山(りょうぜん)での付嘱および末法における日蓮大聖人から日興上人、そして日目上人へと伝えられる唯授一人の血脈相承を指す言葉であり、その相伝の内容は血脈伝持の人以外には知りえないことである、と指南されています。
しかし、あえて相伝の上から大御本尊とその他の御本尊との違いについて言えば、『日興跡条々事』(にっこうあとじょうじょうのこと)には、
「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし」
(御書一八八三㌻・傍線筆者)
とあり、また日寛上人は、
「弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟の中の究竟、本懐の中の本懐なり」(観心本尊抄文段・文段一九七㌻・傍線筆者)
と仰せられ、弘安二年の大御本尊こそ根本の御本尊である旨の御指南をされています。
あなたが言うところの「大御本尊とその他の御本尊との差違」などは、すべて「本尊の大事」に含まれる事柄であり、血脈相承を受けられた御法主上人以外の者が、とやかく議論すべきことではないのです。