この根本的な改変について、原田会長は、
「当時、宗門との僧俗和合時代に信仰実践に励んできた会員の皆さまの感情や歴史的な経過を踏まえ、この「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊』については、『弘安2年(1279年)の大御本尊』を指すとの説明を行っていました」 (本書138ページ参照)
と述べています。
すなわち創価学会は、今まで会員の感情や歴史的な経過を踏まえ、信仰の対象を弘安二年の大御本尊であると説明してきたが、本音は大御本尊を放棄することにあった、と言っているのです。
これは、大御本尊に対する会員の渇仰恋慕(かつごうれんぼ)の心が、時の経過とともに希薄(きはく)になるのを待って、会則改変に踏み切ったものというべきです。このような、矛盾と欺瞞(ぎまん)に満ちた創価学会に身を置く会員の末路(まつろ)は、哀れと言うほかはありません。
「当時、宗門との僧俗和合時代に信仰実践に励んできた会員の皆さまの感情や歴史的な経過を踏まえ、この「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊』については、『弘安2年(1279年)の大御本尊』を指すとの説明を行っていました」 (本書138ページ参照)
と述べています。
すなわち創価学会は、今まで会員の感情や歴史的な経過を踏まえ、信仰の対象を弘安二年の大御本尊であると説明してきたが、本音は大御本尊を放棄することにあった、と言っているのです。
これは、大御本尊に対する会員の渇仰恋慕(かつごうれんぼ)の心が、時の経過とともに希薄(きはく)になるのを待って、会則改変に踏み切ったものというべきです。このような、矛盾と欺瞞(ぎまん)に満ちた創価学会に身を置く会員の末路(まつろ)は、哀れと言うほかはありません。