創価学会は、「大御本尊を受持の対象としない」と宣言したことで、それを言い繕(つくろ)うための邪説を次々と唱えざるをえない状態におちいっています。
ここでは、そのいくつかについて破折します。
第一節 「御本尊を創価学会が認定する」という邪説
①凡夫集団に御本尊を認定する資格はない
今回、創価学会が大御本尊を放棄するに当たって、原田会長は、
「創価学会は(中略)広宣流布のための御本尊を認定します。したがって、会則の教義条項にいう『御本尊』とは創価学会が受持の対象として認定した御本尊であり云々」(本書139頁参照)
と述べ、今後は創価学会が受持の対象とすべき本尊を認定すると宣言しました。
そもそも、日蓮大聖人の仏法における御本尊は、
「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ」(経王殿御返事・御書六八五頁)
と仰せられるように、御本仏の御魂魄(ごこんぱく)であり、お悟(さと)りそのものです。
仏法においては、
「信心は順従(じゅんじゅう)を義と為す」(四教義・大正蔵四六―七五三頁)
と言われるように、衆生は仏の教えに従い、本尊を尊崇(そんすう)することが本義です。
末法の衆生が拝すべき御本尊について、日寛上人は、
「弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟(くきょう)の中の究竟、本懐の中の本懐なり。既に是れ三大秘法の随一なり、況(いわ)んや一閻浮提総体(いちえんぶだいそうたい)の本尊なる故なり」(観心本尊抄文段・文段一九七頁)
と仰せられ、本門戒壇の大御本尊こそ、日蓮大聖人の仏法における根本の御本尊であると教示されています。
すなわち本門戒壇の大御本尊は本宗における究極(きゅうきょく)の御法体であり、古来、御本尊の書写
および下付に関する一切の権能(けんのう)は、血脈付法の御法主上人御一人に限られてきたのです。
第二代戸田会長も、
「大御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない。日蓮大聖人様のお悟り、唯授一人、代々の法主猊下(げいか)以外にはどうしようもない」(大白蓮華・昭和三四年七月号九頁)
と指導しています。
しかるに今回、創価学会は、衆生凡夫(ぼんぷ)の集団にもかかわらず、宗祖大聖人の御教示、日寛上人の御指南、さらには戸田会長の指導に背いて、受持の対象とすべき御本尊を自ら認定するという大増上慢(だいぞうじょうまん)ぶりを露(あら)わにしました。
いったい何を基準に認定するというのか、世迷い言もほどほどにすべきです。
②「創価学会は広宣流布を推進する仏意仏勅の教団」という妄言
創価学会が御本尊を認定できる根拠について、原田会長は、
「創価学会は、大聖人の御遺命(ごゆいめい)の世界広宣流布を推進する仏意仏勅(ぶついぶっちょく)の教団であるとの自覚に立ち、その責任において広宣流布のための御本尊を認定します」
と述べています。
まず、創価学会は世界広宣流布を推進する教団、ということですが、そもそも広宣流布とは、総本山大石寺にまします本門戒壇の大御本尊を根本とする日蓮大聖人の教えを世に弘めて衆生を救うことです。
そのためには、日蓮大聖人の教えに随順(ずいじゅん)し、正しい信心に立たなければなりません。
広宣流布の根源について、日寛上人は、
「富士山は是れ広宣流布の根源なるが故に。根源とは何ぞ、謂(い)わく、本門戒壇の本尊是れなり(中略)既に是れ広布の根源の所住(しょじゅう)なり、蓋(なん)ぞ本山と仰(あお)がざらんや」(文底秘沈抄・六巻抄六八頁)
と、明確に指南されています。
日寛上人筆 『文底秘沈抄』
ここでは、そのいくつかについて破折します。
第一節 「御本尊を創価学会が認定する」という邪説
①凡夫集団に御本尊を認定する資格はない
今回、創価学会が大御本尊を放棄するに当たって、原田会長は、
「創価学会は(中略)広宣流布のための御本尊を認定します。したがって、会則の教義条項にいう『御本尊』とは創価学会が受持の対象として認定した御本尊であり云々」(本書139頁参照)
と述べ、今後は創価学会が受持の対象とすべき本尊を認定すると宣言しました。
そもそも、日蓮大聖人の仏法における御本尊は、
「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ」(経王殿御返事・御書六八五頁)
と仰せられるように、御本仏の御魂魄(ごこんぱく)であり、お悟(さと)りそのものです。
仏法においては、
「信心は順従(じゅんじゅう)を義と為す」(四教義・大正蔵四六―七五三頁)
と言われるように、衆生は仏の教えに従い、本尊を尊崇(そんすう)することが本義です。
末法の衆生が拝すべき御本尊について、日寛上人は、
「弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟(くきょう)の中の究竟、本懐の中の本懐なり。既に是れ三大秘法の随一なり、況(いわ)んや一閻浮提総体(いちえんぶだいそうたい)の本尊なる故なり」(観心本尊抄文段・文段一九七頁)
と仰せられ、本門戒壇の大御本尊こそ、日蓮大聖人の仏法における根本の御本尊であると教示されています。
すなわち本門戒壇の大御本尊は本宗における究極(きゅうきょく)の御法体であり、古来、御本尊の書写
および下付に関する一切の権能(けんのう)は、血脈付法の御法主上人御一人に限られてきたのです。
第二代戸田会長も、
「大御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない。日蓮大聖人様のお悟り、唯授一人、代々の法主猊下(げいか)以外にはどうしようもない」(大白蓮華・昭和三四年七月号九頁)
と指導しています。
しかるに今回、創価学会は、衆生凡夫(ぼんぷ)の集団にもかかわらず、宗祖大聖人の御教示、日寛上人の御指南、さらには戸田会長の指導に背いて、受持の対象とすべき御本尊を自ら認定するという大増上慢(だいぞうじょうまん)ぶりを露(あら)わにしました。
いったい何を基準に認定するというのか、世迷い言もほどほどにすべきです。
②「創価学会は広宣流布を推進する仏意仏勅の教団」という妄言
創価学会が御本尊を認定できる根拠について、原田会長は、
「創価学会は、大聖人の御遺命(ごゆいめい)の世界広宣流布を推進する仏意仏勅(ぶついぶっちょく)の教団であるとの自覚に立ち、その責任において広宣流布のための御本尊を認定します」
と述べています。
まず、創価学会は世界広宣流布を推進する教団、ということですが、そもそも広宣流布とは、総本山大石寺にまします本門戒壇の大御本尊を根本とする日蓮大聖人の教えを世に弘めて衆生を救うことです。
そのためには、日蓮大聖人の教えに随順(ずいじゅん)し、正しい信心に立たなければなりません。
広宣流布の根源について、日寛上人は、
「富士山は是れ広宣流布の根源なるが故に。根源とは何ぞ、謂(い)わく、本門戒壇の本尊是れなり(中略)既に是れ広布の根源の所住(しょじゅう)なり、蓋(なん)ぞ本山と仰(あお)がざらんや」(文底秘沈抄・六巻抄六八頁)
と、明確に指南されています。
日寛上人筆 『文底秘沈抄』
また、第六十六世日達上人は、創価学会の教義逸脱が顕著になっていった昭和四十九年に、
「日蓮正宗の教義が、一閻浮提(いちえんぶだい)に敷行(ふえん)していってこそ、広宣流布であるべきであります。日蓮正宗の教義でないものが一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えないのであります。みなさまの今の時にもし日蓮正宗の教義でもなく、大聖人の教義でないものが、世界に広がったからといって、決して我々は喜ぶべきでもないし、大聖人がお喜びになるとは思いません」(達全ニー六-二九五頁)
と指南されています。
これらの御指南を拝しても、日蓮正宗の教義から外れた創価学会が「広宣流布を推進する教団」でないことは明らかです。
また創価学会は「仏意仏勅の教団」ということですが、創価学会は御本仏の教えに背き、その御魂魂(ごこんぱく)を放棄したのです。創価学会は「仏意仏勅」どころか、むしろ仏敵・大謗法の集団というべきでしょう。
したがって、そのような創価学会が御本尊を勝手に認定するなどは、荒唐無稽(こうとうむけい)としか言いようがありません。ちなみに「荒唐無稽」とは、よりどころがなく、デタラメなさまを言います。
「日蓮正宗の教義が、一閻浮提(いちえんぶだい)に敷行(ふえん)していってこそ、広宣流布であるべきであります。日蓮正宗の教義でないものが一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えないのであります。みなさまの今の時にもし日蓮正宗の教義でもなく、大聖人の教義でないものが、世界に広がったからといって、決して我々は喜ぶべきでもないし、大聖人がお喜びになるとは思いません」(達全ニー六-二九五頁)
と指南されています。
これらの御指南を拝しても、日蓮正宗の教義から外れた創価学会が「広宣流布を推進する教団」でないことは明らかです。
また創価学会は「仏意仏勅の教団」ということですが、創価学会は御本仏の教えに背き、その御魂魂(ごこんぱく)を放棄したのです。創価学会は「仏意仏勅」どころか、むしろ仏敵・大謗法の集団というべきでしょう。
したがって、そのような創価学会が御本尊を勝手に認定するなどは、荒唐無稽(こうとうむけい)としか言いようがありません。ちなみに「荒唐無稽」とは、よりどころがなく、デタラメなさまを言います。