原田会長は、「受持即観心」について説明するなかで、次のように述べています。
「御本尊の力用(りきゆう)は、自行化他の実践があるところに発揮されるのであります。大聖人の御本尊は、『法華弘通のはたじるし』すなわち民衆救済のための御本尊であり、広宣流布のための御本尊であります。御本尊は広宣流布の誓願、信心で拝してこそ御本尊の力用が発揮されます」
この説明から、創価学会が、大御本尊を放棄したことによって、御本尊よりも衆生の信行を主体とするという、本末転倒の信仰論を主張し始めたことがわかります。
①正境なくして利益なし
まず、原田会長は「御本尊の力用は、自行化他の実践があるところに発揮される」とか「御本尊は広宣流布の誓願、信心で拝してこそ御本尊の力用が発揮されます」と言い、信仰の功徳(御本尊の力用)には、仏力・法力よりも、衆生の信力’行力が優先するかのような主張をしています。
しかし、日寛上人は『法華取要抄文段』に、
「凡そ本尊とは所縁の境なり。境若し邪なる則んば智行も随って邪なり。境若し正なる則んば智行も随って正なり。故に須く本尊の邪正を簡び、以て信行を励むべし」(文段五四〇頁)
と、信心修行においては、本尊の正邪の峻別が最優先し、その上で正境(しょうきょう)である本尊に対して信仰に励んでこそ、本尊の力用が発揮されることを指南されています。
したがって、本門戒壇の大御本尊(正境)を放棄し、我見に任せて認定した本尊に向かって、会員がいかに唱題しようとも、功徳どころか、邪智(じゃち)・邪行(じゃぎょう)の罪によって悪道におちることは必定(ひつじょう)です。
②言葉のみの広宣流布をかかげる創価学会
創価学会は、ことあるごとに「創価学会こそ広宣流布を推進する教団」と主張しますが、日寛上人は広宣流布について、
「文底深秘(もんていじんぴ)の大法、其の体如何(いかん)。答う、即ち是れ天台未弘(みぐ)の大法こ二大秘法の随一・本門戒壇の御本尊の御事なり(中略)此の本尊は広布の根源なり」(撰時抄愚記・文段二九〇頁)
と仰せられています。
つまり、広宣流布とは本門戒壇の大御本尊を流布することであり、本門戒壇の大御本尊こそ、広宣流布の根源なのです。
かつて、不相伝家(ふそうでんけ)の他門のなかにも、言葉のみの広宣流布を盛んに主張した例が、いくつかあります。
「御本尊の力用(りきゆう)は、自行化他の実践があるところに発揮されるのであります。大聖人の御本尊は、『法華弘通のはたじるし』すなわち民衆救済のための御本尊であり、広宣流布のための御本尊であります。御本尊は広宣流布の誓願、信心で拝してこそ御本尊の力用が発揮されます」
この説明から、創価学会が、大御本尊を放棄したことによって、御本尊よりも衆生の信行を主体とするという、本末転倒の信仰論を主張し始めたことがわかります。
①正境なくして利益なし
まず、原田会長は「御本尊の力用は、自行化他の実践があるところに発揮される」とか「御本尊は広宣流布の誓願、信心で拝してこそ御本尊の力用が発揮されます」と言い、信仰の功徳(御本尊の力用)には、仏力・法力よりも、衆生の信力’行力が優先するかのような主張をしています。
しかし、日寛上人は『法華取要抄文段』に、
「凡そ本尊とは所縁の境なり。境若し邪なる則んば智行も随って邪なり。境若し正なる則んば智行も随って正なり。故に須く本尊の邪正を簡び、以て信行を励むべし」(文段五四〇頁)
と、信心修行においては、本尊の正邪の峻別が最優先し、その上で正境(しょうきょう)である本尊に対して信仰に励んでこそ、本尊の力用が発揮されることを指南されています。
したがって、本門戒壇の大御本尊(正境)を放棄し、我見に任せて認定した本尊に向かって、会員がいかに唱題しようとも、功徳どころか、邪智(じゃち)・邪行(じゃぎょう)の罪によって悪道におちることは必定(ひつじょう)です。
②言葉のみの広宣流布をかかげる創価学会
創価学会は、ことあるごとに「創価学会こそ広宣流布を推進する教団」と主張しますが、日寛上人は広宣流布について、
「文底深秘(もんていじんぴ)の大法、其の体如何(いかん)。答う、即ち是れ天台未弘(みぐ)の大法こ二大秘法の随一・本門戒壇の御本尊の御事なり(中略)此の本尊は広布の根源なり」(撰時抄愚記・文段二九〇頁)
と仰せられています。
つまり、広宣流布とは本門戒壇の大御本尊を流布することであり、本門戒壇の大御本尊こそ、広宣流布の根源なのです。
かつて、不相伝家(ふそうでんけ)の他門のなかにも、言葉のみの広宣流布を盛んに主張した例が、いくつかあります。
身延 20世 日重
日蓮宗(身延派)の宗制には、
「本宗の布教は、広宣流布の祖願達成を主眼とする」(日蓮宗宗憲第七条)
とあり、日蓮宗の一如日重(いちにょにちじゅう)(身延二十世)は『見聞愚案記』(けんもんぐあんき)に、
「誓願の事、広宣流布の願望肝心なり(該書二〇―一五頁)
と言い、
日蓮宗(身延派)の宗制には、
「本宗の布教は、広宣流布の祖願達成を主眼とする」(日蓮宗宗憲第七条)
とあり、日蓮宗の一如日重(いちにょにちじゅう)(身延二十世)は『見聞愚案記』(けんもんぐあんき)に、
「誓願の事、広宣流布の願望肝心なり(該書二〇―一五頁)
と言い、
本門仏立宗開祖
長松清風
本門仏立宗の長松清風(ながまつせいふう)(旦扇(にっせん))は、
「今生人界(こんじょうにんがい)の思ひ出をはたさんと、弘通広宣の道に励み給ふべき事専要(せんよう)に侯」
(仏立宗義書四―二八四頁)
と言っています。
長松清風
本門仏立宗の長松清風(ながまつせいふう)(旦扇(にっせん))は、
「今生人界(こんじょうにんがい)の思ひ出をはたさんと、弘通広宣の道に励み給ふべき事専要(せんよう)に侯」
(仏立宗義書四―二八四頁)
と言っています。
国柱会創始者
田中智学
また、国柱会(こくちゅうかい)の田中智学(ちがく)も。
「妙信妙行を具足したる一大主義は(中略)終に宇内万邦(うだいばんぽう)に広宣流布すべき、末法応時の憲教(けんきょう)たる本化妙宗(ほんげみょうしゅう)これ也」
(日蓮主義教学大観一―四二三頁)
と言っています。
これらの宗派は、本門戒壇の大御本尊を知らず、御本仏大聖人の御聖意(ごしょうい)に背いているのですから、広宣流布という言葉はあっても、その実はないのです。
創価学会も同様に、いかに「広宣流布」を口にしようとも、それは所詮(しょせん)、空虚(くうきょ)な妄想でしかありません。
田中智学
また、国柱会(こくちゅうかい)の田中智学(ちがく)も。
「妙信妙行を具足したる一大主義は(中略)終に宇内万邦(うだいばんぽう)に広宣流布すべき、末法応時の憲教(けんきょう)たる本化妙宗(ほんげみょうしゅう)これ也」
(日蓮主義教学大観一―四二三頁)
と言っています。
これらの宗派は、本門戒壇の大御本尊を知らず、御本仏大聖人の御聖意(ごしょうい)に背いているのですから、広宣流布という言葉はあっても、その実はないのです。
創価学会も同様に、いかに「広宣流布」を口にしようとも、それは所詮(しょせん)、空虚(くうきょ)な妄想でしかありません。