A.あなたが邪宗教となった創価学会に所属している限り、功徳と思い込んでいることは、邪宗特有の魔の通力(つうりき)にすぎません。
『諌暁八幡抄』には、
「一分(いちぶん)のしるしある様(よう)なりとも、天地の知る程の祈りとは成るべからず。魔王・魔民等守護を加へて法に験(しるし)の有る様なりとも、終(つい)には其(そ)の身も檀那(だんな)も安穏(あんのん)なるべからず」(御書一五三一㌻)
と仰せられています。
すなわち、邪法を信ずることによって一分の利益があったように見えても、それは仏天の利益ではなく、第六天の魔王の力によるものであり、結局は身の破滅(はめつ)に至るのです。
したがって今後は、いかに会員が家庭の御本尊を拝んでも、功徳を積むどころか、かえって堕地獄(だじごく)の業因(ごういん)を重ねるだけです。
『諌暁八幡抄』には、
「一分(いちぶん)のしるしある様(よう)なりとも、天地の知る程の祈りとは成るべからず。魔王・魔民等守護を加へて法に験(しるし)の有る様なりとも、終(つい)には其(そ)の身も檀那(だんな)も安穏(あんのん)なるべからず」(御書一五三一㌻)
と仰せられています。
すなわち、邪法を信ずることによって一分の利益があったように見えても、それは仏天の利益ではなく、第六天の魔王の力によるものであり、結局は身の破滅(はめつ)に至るのです。
したがって今後は、いかに会員が家庭の御本尊を拝んでも、功徳を積むどころか、かえって堕地獄(だじごく)の業因(ごういん)を重ねるだけです。