化生とは
地獄、餓鬼、畜生、修羅の(※注1)四悪趣(しあくしゅ)も、その他も頭と四つの足がある、これは五戒だと言われるのです。
「魚のひれ四つ有り、即ち四支なリ。鳥は羽と足とあり、是も四支なり。牛馬も四足あり、二つの前の足は即ち手なり。破戒の故に四足と成りてすぐにたゝざるなり。足の多くある者も、四足の多く成りたるにて有るなり。蠕蛇が足なく腹ばひ行くも、四足にて歩むべきことはりなれども、破戒の故に足無くして歩むにて有るなり。畜生道此くの如し。餓鬼道は多くは人に似たり。地獄は本の人身なり。苦を重く受けん為に本身を失はずして化生するなり」(御書 七ページ )
地獄は、出てくるときはもとの人身、すなわち化生して出てくるときは、人身なんですね。
地獄に堕ちて苦しむときも人身なんです。よく地獄の絵図を見ると、人間の体で苦しんでいるでしょう。
いろいろ釘を打たれたり、火の中で苦しむとか、地獄の場合は人間なんです。畜生は罪は軽いけれども、四つ足になると説かれています。この「化生するなり」、出てくるときは化生するんですよ。
化生というのは、何もないところから生まれ出てくることで、お化けなどというのも化生です。
私が昔、本行寺にいた頃、佐原の人がいて、私はある用があってそこへ行きました。息子が、私の目を正視することができない。その人は、精神病なんです。なんで精神病になったか判らない。
常に発作が起こってくると、家の前の川へ飛び込んでしまうんです。そこへ、ある晩、親が電気を消したら、お化けが息子の寝ている上に出たんです。四人出て、三人は女で、一人は子供を抱いていたそうです。本当に芝居に出てくるようなすごい形相で、それが上に行くと息子がウーンと苦しむ。
それで、私の所に相談に来たことがありました。こういう苦道の衆生もあるのです。
因縁のある所へは現れて来る。化生ですね。
「地獄は本の人身なり」(御書 七ページ)
ですから、顔もあれは、手足もある。
十界(※注2)の衆生は、全部五戒がもともと存在しておりますから、破れたけれども、五戒そのものは存在しているということです。
(大白法 平成七年九月一日号 夏期講習会第十期 第六十七世日顕上人猊下御講義 )
死後の生命
すなわち私たちの死後の生命は大宇宙の生命とともに存在し、縁によってこの世に生じます。
そしてその肉体は、過去世の業因をもとに、宇宙の物質をもって形成されています。
一生が終り、死に至ったとき、その肉体は分解され、またもとの宇宙の物質へともどります。
生命もまた大宇宙の生命と渾然一体となり、永遠に生死を繰り返すのです。
死後の生命についていえば、大宇宙の生命に冥伏した死後の生命は、過去世の業因によって
十界のそれぞれの業を感じ、苦楽を得ていますが、とくにその苦しみや強い怨念、
または過去の執着などは生きている人間に感応(かんのう)し、人によってまれには言葉が聞こえたり、
物が見えるといった種々の作用を感ずるのです。普通はこれを霊魂のはたらきと考えているようですが、
どこまでも感応によるものなのです。
この感応は、死後の生命だけでなく、生きている人からも故人に影響を与えます。そこで各寺院における塔婆供養などの追善(ついぜん)供養が行われるわけです。遺族の強い信心と御本尊の功力によって、亡くなった人の生命を成仏させることが追善供養の真の意義であり、それは感応妙の原理によるのです。
以上説明してきたことからも、通常いわれるような特別な霊魂や個体としての幽霊などは実際には存在しません。生といい死といっても一つの生命における変化にすぎないのです。
なお、正宗寺院の追善供養で、「誰それの霊」として回向を行いますが、この場合の霊も死者の霊魂をいうのではなく、死後の生命全体を指しているのです。その他、日蓮大聖人の御書中にも幽霊とか悪霊という言葉が使われていますが、これらは死者の生命を指しての言葉であり、また大聖人の心、生命を指して魂といわれている箇所もあります。
今日、私たちにとって、なによりも大切なことは、正法を信仰し善因を積みかさねていくことです。
これこそ永遠の幸福を築く最高の方法なのです。
(正しい宗教と信仰より ※「霊(れい)をどのように考えるか」 を参照)
幽霊や化け物を見て悩んでいる方は、本修寺又は各日蓮正宗寺院へお尋ね下さい。
正しい信仰をすればそのような悩みは必ず解決します。
(※注1)(※注2)十界の心、或いは十界の命と申しますが、これは我々が喜怒哀楽する心の様々な状態を、十通りに分けたもので、地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天上界・声聞界(しょうもんかい)・縁覚界(えんがくかい)・菩薩界(ぼさつかい)・仏界(ぶッかい)とあります。地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界を四悪趣(しあくしゅ)と言います。
地獄、餓鬼、畜生、修羅の(※注1)四悪趣(しあくしゅ)も、その他も頭と四つの足がある、これは五戒だと言われるのです。
「魚のひれ四つ有り、即ち四支なリ。鳥は羽と足とあり、是も四支なり。牛馬も四足あり、二つの前の足は即ち手なり。破戒の故に四足と成りてすぐにたゝざるなり。足の多くある者も、四足の多く成りたるにて有るなり。蠕蛇が足なく腹ばひ行くも、四足にて歩むべきことはりなれども、破戒の故に足無くして歩むにて有るなり。畜生道此くの如し。餓鬼道は多くは人に似たり。地獄は本の人身なり。苦を重く受けん為に本身を失はずして化生するなり」(御書 七ページ )
地獄は、出てくるときはもとの人身、すなわち化生して出てくるときは、人身なんですね。
地獄に堕ちて苦しむときも人身なんです。よく地獄の絵図を見ると、人間の体で苦しんでいるでしょう。
いろいろ釘を打たれたり、火の中で苦しむとか、地獄の場合は人間なんです。畜生は罪は軽いけれども、四つ足になると説かれています。この「化生するなり」、出てくるときは化生するんですよ。
化生というのは、何もないところから生まれ出てくることで、お化けなどというのも化生です。
私が昔、本行寺にいた頃、佐原の人がいて、私はある用があってそこへ行きました。息子が、私の目を正視することができない。その人は、精神病なんです。なんで精神病になったか判らない。
常に発作が起こってくると、家の前の川へ飛び込んでしまうんです。そこへ、ある晩、親が電気を消したら、お化けが息子の寝ている上に出たんです。四人出て、三人は女で、一人は子供を抱いていたそうです。本当に芝居に出てくるようなすごい形相で、それが上に行くと息子がウーンと苦しむ。
それで、私の所に相談に来たことがありました。こういう苦道の衆生もあるのです。
因縁のある所へは現れて来る。化生ですね。
「地獄は本の人身なり」(御書 七ページ)
ですから、顔もあれは、手足もある。
十界(※注2)の衆生は、全部五戒がもともと存在しておりますから、破れたけれども、五戒そのものは存在しているということです。
(大白法 平成七年九月一日号 夏期講習会第十期 第六十七世日顕上人猊下御講義 )
死後の生命
すなわち私たちの死後の生命は大宇宙の生命とともに存在し、縁によってこの世に生じます。
そしてその肉体は、過去世の業因をもとに、宇宙の物質をもって形成されています。
一生が終り、死に至ったとき、その肉体は分解され、またもとの宇宙の物質へともどります。
生命もまた大宇宙の生命と渾然一体となり、永遠に生死を繰り返すのです。
死後の生命についていえば、大宇宙の生命に冥伏した死後の生命は、過去世の業因によって
十界のそれぞれの業を感じ、苦楽を得ていますが、とくにその苦しみや強い怨念、
または過去の執着などは生きている人間に感応(かんのう)し、人によってまれには言葉が聞こえたり、
物が見えるといった種々の作用を感ずるのです。普通はこれを霊魂のはたらきと考えているようですが、
どこまでも感応によるものなのです。
この感応は、死後の生命だけでなく、生きている人からも故人に影響を与えます。そこで各寺院における塔婆供養などの追善(ついぜん)供養が行われるわけです。遺族の強い信心と御本尊の功力によって、亡くなった人の生命を成仏させることが追善供養の真の意義であり、それは感応妙の原理によるのです。
以上説明してきたことからも、通常いわれるような特別な霊魂や個体としての幽霊などは実際には存在しません。生といい死といっても一つの生命における変化にすぎないのです。
なお、正宗寺院の追善供養で、「誰それの霊」として回向を行いますが、この場合の霊も死者の霊魂をいうのではなく、死後の生命全体を指しているのです。その他、日蓮大聖人の御書中にも幽霊とか悪霊という言葉が使われていますが、これらは死者の生命を指しての言葉であり、また大聖人の心、生命を指して魂といわれている箇所もあります。
今日、私たちにとって、なによりも大切なことは、正法を信仰し善因を積みかさねていくことです。
これこそ永遠の幸福を築く最高の方法なのです。
(正しい宗教と信仰より ※「霊(れい)をどのように考えるか」 を参照)
幽霊や化け物を見て悩んでいる方は、本修寺又は各日蓮正宗寺院へお尋ね下さい。
正しい信仰をすればそのような悩みは必ず解決します。
(※注1)(※注2)十界の心、或いは十界の命と申しますが、これは我々が喜怒哀楽する心の様々な状態を、十通りに分けたもので、地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天上界・声聞界(しょうもんかい)・縁覚界(えんがくかい)・菩薩界(ぼさつかい)・仏界(ぶッかい)とあります。地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界を四悪趣(しあくしゅ)と言います。