「妙法蓮華経」こそ真の仏の生命の真髄(しんずい)
学会教科書も「種々の仏は架空の仏」と
去る三月十一日、創価学会においては、「広宣流布記念の日」六十周年という筋目の大会を行った。この大会は『聖教新聞』(三月十一日付)によると、日本と世界一五〇会場を中継で結び開催された、という。
この大会で登壇した会長の原田稔は、「三・一六」の説明をした後、「創価学会仏」について次のように述べた。
「『創価学会仏』の生命とは何か、それは、三代会長を貫(つらぬ)く、不自惜身命の精神です。『創価学会仏』の五体とは何か、それは師弟の血脈満身にたたえ広布拡大に邁進(まいしん)してゆく、私たち学会員一人一人です。」
これは、二年前の二〇一六年に降って湧いたように発表され、物議を醸(かも)してきた「創価学会仏」について内容を補足するものである。
この原田の指導では、創価学会仏の「生命」と「五体」について述べている。
まず、学会仏の「生命」とは「三代会長を貫く、不自惜身命の精神」であるという。
だが、そもそも仏の生命とは、そんな狭義なものではない。
第六十七世日顕上人は
「南無妙法蓮華経の五字七字は仏の永遠の生命を示された法華経本門寿量品の真髄であり、そこにあらゆる衆生を導き救う『是好良薬』たる真実の教主の内容が存するのであります」(『大日蓮』六六九号五八頁)
と御指南されているが、妙法蓮華経こそが真の仏の生命の真髄である。
しかるに「三代会長を貫く、不自惜身命の精神」が生命であるとは、なんと薄っぺらで人為的な仏なのだろう。そういえば、学会の『教学入門』には、
<さまざまな経典に阿弥陀仏などの種々の仏が説かれていますが、これは仏の境涯の素晴らしさを一面から比喩(ひゆ)的に示した架空の仏です>(当該書 六九頁)と、種々の経典における仏は架空の仏としているが、未来の経典に載る(?)といわれる創価学会仏も、架空の仏ということか。
この大会で登壇した会長の原田稔は、「三・一六」の説明をした後、「創価学会仏」について次のように述べた。
「『創価学会仏』の生命とは何か、それは、三代会長を貫(つらぬ)く、不自惜身命の精神です。『創価学会仏』の五体とは何か、それは師弟の血脈満身にたたえ広布拡大に邁進(まいしん)してゆく、私たち学会員一人一人です。」
これは、二年前の二〇一六年に降って湧いたように発表され、物議を醸(かも)してきた「創価学会仏」について内容を補足するものである。
この原田の指導では、創価学会仏の「生命」と「五体」について述べている。
まず、学会仏の「生命」とは「三代会長を貫く、不自惜身命の精神」であるという。
だが、そもそも仏の生命とは、そんな狭義なものではない。
第六十七世日顕上人は
「南無妙法蓮華経の五字七字は仏の永遠の生命を示された法華経本門寿量品の真髄であり、そこにあらゆる衆生を導き救う『是好良薬』たる真実の教主の内容が存するのであります」(『大日蓮』六六九号五八頁)
と御指南されているが、妙法蓮華経こそが真の仏の生命の真髄である。
しかるに「三代会長を貫く、不自惜身命の精神」が生命であるとは、なんと薄っぺらで人為的な仏なのだろう。そういえば、学会の『教学入門』には、
<さまざまな経典に阿弥陀仏などの種々の仏が説かれていますが、これは仏の境涯の素晴らしさを一面から比喩(ひゆ)的に示した架空の仏です>(当該書 六九頁)と、種々の経典における仏は架空の仏としているが、未来の経典に載る(?)といわれる創価学会仏も、架空の仏ということか。
「創価学会仏」は、創価学会の初級教学書「教学入門」からいけば「架空の仏」
それ故、創価学会仏の生命は狭義で薄っぺらでも構わないのである。
次に創価学会仏の「五体」についてであるが、どこの部位をさすか不明なので、おそらく、体全体と言いたいのだろう。
創価学会仏の体全体とは、何なのか、それは「師弟の血脈満身にたたえ広布拡大に邁進していく、私たち学会員一人一人」であるという。
ここでいう「師弟」が誰をさすのか、明確には述べていないが、たぶん会長と会員をさすのだろう。要するに、単なる末法の凡夫と凡夫が、
自分達の組織を拡大していくために狂奔(きょうほん)する、その集団をさして創価学会仏の「五体」としているのである。
これぞ、まさに謂己均仏(いこきんぶつ)の典型、迷える凡夫をもって直ちに仏とする増上慢に他ならない。
結局のところ、創価学会仏とは、学会首脳が勝手に造り出した架空の仏でしかない。それゆえに、どんな狭義な考えであろうが、どんな体をしていようが関係ないのであろう。
このような邪義を真に受け、堕地獄の道連れとなる学会員を救っていかなければならない。
(平成三十年 四月一日 慧妙)
次に創価学会仏の「五体」についてであるが、どこの部位をさすか不明なので、おそらく、体全体と言いたいのだろう。
創価学会仏の体全体とは、何なのか、それは「師弟の血脈満身にたたえ広布拡大に邁進していく、私たち学会員一人一人」であるという。
ここでいう「師弟」が誰をさすのか、明確には述べていないが、たぶん会長と会員をさすのだろう。要するに、単なる末法の凡夫と凡夫が、
自分達の組織を拡大していくために狂奔(きょうほん)する、その集団をさして創価学会仏の「五体」としているのである。
これぞ、まさに謂己均仏(いこきんぶつ)の典型、迷える凡夫をもって直ちに仏とする増上慢に他ならない。
結局のところ、創価学会仏とは、学会首脳が勝手に造り出した架空の仏でしかない。それゆえに、どんな狭義な考えであろうが、どんな体をしていようが関係ないのであろう。
このような邪義を真に受け、堕地獄の道連れとなる学会員を救っていかなければならない。
(平成三十年 四月一日 慧妙)