「佛所護念」とは法華経に記される経文。その経文を名に負う在家教団に、佛所護念会教団がある。
かつて霊友会の第六支部長だった関口嘉一(かいち)が、昭和二十五(一九五〇)年に霊友会の金塊・コカイン隠匿(いんとく)事件や脱税事件を契機として脱会し、妻トミノと作った新宗教だ。
法華経読みの法華経知らず
佛所護念会教団では、霊友会の基本教義を継承しつつ、日蓮大聖人が認(したた)めたとする弘安四(一二八一)年五月十五日の本尊を「日本国衛護の曼陀羅(まんだら)」と仰ぎ、法華三部経を依経とする。しかし、彼らの法華経解釈は恣意(しい)的かつ独善的なものばかり。特に、教団名に掲げる「佛所護念」の解釈には目も当てられない。
二代会長トミノが残したという『碑文』では、
「法華経は佛が天地大自然の眞理を説かれたものである人を萬物(ばんぶつ)の長と言い神を敬い佛を崇(あが)め祖先に自(みず)から供養し己(おのれ)の悪いくせを直す そう言う人を諸佛は守護したもう 之(これ)を佛所護念と言う」(教団ホームページ)
と、支離滅裂な理論を展開する。
そもそも「佛所護念」とは、法華経の序品(じょぼん)や譬喩(ひゆ)品などにある文で、「妙法蓮華経は三世十方の諸仏が大事に護り念じてきた教法である」との、法華経を讃歎したもの。彼らの言うような「神仏を崇め、先祖供養する人を仏が守護する」などの意は、微塵(みじん)も持ち合わせていない。
また、「人を萬物の長」ということも、六万九千三百八十四字ある法華経のどこにも書かれていない。
「論語読みの論語知らず」という言葉があるが、彼らの自分勝手な法華経解釈の姿勢は、まさに「法華経読みの法華経知らず」だ。
伊勢神宮に広宣流布を誓う?
佛所護念会教団の法華経乱用はこれにとどまらない。
彼らは身延山久遠寺のほか、伊勢神宮や清澄山などへの団参(集団参詣)を奨励するが、伊勢神宮参拝にはとりわけ執心の様子。 それは教団初めての団参が身延山ではなく、伊勢神宮であったことからも見て取れる。
さらに教団ホームページでは、伊勢参りの理由として、
「法華経の広宣流布に身命を捧げられた日蓮聖人は、百日間の水垢離(みずごり)と神宮への日参の後、立教開宗を誓われたという故事があります。そこで、教団では毎年一月から三月にかけて、会員代表による参拝を行い、国家安泰と皇室の弥栄(いやさか)を祈念し広宣流布を誓っています」
(教団ホームページ)
と、伊勢神宮で法華経の広宣流布を誓うことができるなどという珍説をも披露している。もちろん、伊勢神宮で大聖人が水垢離したという話は嘘八百の戯(ざ)れ言(ごと)である。
加えて大聖人ご自身、
「天照太神・八幡大菩薩も其の本地は教主釈尊なり」(御書 一三一㌻)
と仰せだ。
このように、伊勢神宮の祭神である天照太神は釈尊の垂迹(すいじゃく)に過ぎず、むしろ諸天善神は法華経の行者を進んで守護する立場であるはず。
釈尊が説いた法華経の広宣流布を伊勢神宮に対して誓うなど、本末転倒もはなはだしい。
還って法華の心を死す
元来、「佛所護念」は法華経を讃歎した経文である。その法華経を悪(あ)しく用いることは、伝教大師が
『法華秀句』で、
「法華経を賛すと雖(いえど)も還って法華の心を死す」
(伝教大師全集 三二五二)
と述べるごとく、法華経の大功徳をかえって滅し、その心を殺す大悪行だ。
大聖人が『新池御書』に、
「此の経の信心と申すは、少しも私なく経文の如くに人の言を用ひず、 法華一部に背く事無ければ仏に成り候ぞ」(御書 一四六〇㌻)
と御示しのごとく、純粋に法華経を信じ、私心を雑(まじ)えることなく久遠元初(くおんがんじょ)文底の妙法を唱えることが、私たちの唯一の成仏の方途である。
佛所護念会教団という邪教から一人でも多くの人を救うべく、我ら法華講員はより一層の折伏に精進せねばならない。
(大白法 第一一二七号 令和六年六月十六日)
かつて霊友会の第六支部長だった関口嘉一(かいち)が、昭和二十五(一九五〇)年に霊友会の金塊・コカイン隠匿(いんとく)事件や脱税事件を契機として脱会し、妻トミノと作った新宗教だ。
法華経読みの法華経知らず
佛所護念会教団では、霊友会の基本教義を継承しつつ、日蓮大聖人が認(したた)めたとする弘安四(一二八一)年五月十五日の本尊を「日本国衛護の曼陀羅(まんだら)」と仰ぎ、法華三部経を依経とする。しかし、彼らの法華経解釈は恣意(しい)的かつ独善的なものばかり。特に、教団名に掲げる「佛所護念」の解釈には目も当てられない。
二代会長トミノが残したという『碑文』では、
「法華経は佛が天地大自然の眞理を説かれたものである人を萬物(ばんぶつ)の長と言い神を敬い佛を崇(あが)め祖先に自(みず)から供養し己(おのれ)の悪いくせを直す そう言う人を諸佛は守護したもう 之(これ)を佛所護念と言う」(教団ホームページ)
と、支離滅裂な理論を展開する。
そもそも「佛所護念」とは、法華経の序品(じょぼん)や譬喩(ひゆ)品などにある文で、「妙法蓮華経は三世十方の諸仏が大事に護り念じてきた教法である」との、法華経を讃歎したもの。彼らの言うような「神仏を崇め、先祖供養する人を仏が守護する」などの意は、微塵(みじん)も持ち合わせていない。
また、「人を萬物の長」ということも、六万九千三百八十四字ある法華経のどこにも書かれていない。
「論語読みの論語知らず」という言葉があるが、彼らの自分勝手な法華経解釈の姿勢は、まさに「法華経読みの法華経知らず」だ。
伊勢神宮に広宣流布を誓う?
佛所護念会教団の法華経乱用はこれにとどまらない。
彼らは身延山久遠寺のほか、伊勢神宮や清澄山などへの団参(集団参詣)を奨励するが、伊勢神宮参拝にはとりわけ執心の様子。 それは教団初めての団参が身延山ではなく、伊勢神宮であったことからも見て取れる。
さらに教団ホームページでは、伊勢参りの理由として、
「法華経の広宣流布に身命を捧げられた日蓮聖人は、百日間の水垢離(みずごり)と神宮への日参の後、立教開宗を誓われたという故事があります。そこで、教団では毎年一月から三月にかけて、会員代表による参拝を行い、国家安泰と皇室の弥栄(いやさか)を祈念し広宣流布を誓っています」
(教団ホームページ)
と、伊勢神宮で法華経の広宣流布を誓うことができるなどという珍説をも披露している。もちろん、伊勢神宮で大聖人が水垢離したという話は嘘八百の戯(ざ)れ言(ごと)である。
加えて大聖人ご自身、
「天照太神・八幡大菩薩も其の本地は教主釈尊なり」(御書 一三一㌻)
と仰せだ。
このように、伊勢神宮の祭神である天照太神は釈尊の垂迹(すいじゃく)に過ぎず、むしろ諸天善神は法華経の行者を進んで守護する立場であるはず。
釈尊が説いた法華経の広宣流布を伊勢神宮に対して誓うなど、本末転倒もはなはだしい。
還って法華の心を死す
元来、「佛所護念」は法華経を讃歎した経文である。その法華経を悪(あ)しく用いることは、伝教大師が
『法華秀句』で、
「法華経を賛すと雖(いえど)も還って法華の心を死す」
(伝教大師全集 三二五二)
と述べるごとく、法華経の大功徳をかえって滅し、その心を殺す大悪行だ。
大聖人が『新池御書』に、
「此の経の信心と申すは、少しも私なく経文の如くに人の言を用ひず、 法華一部に背く事無ければ仏に成り候ぞ」(御書 一四六〇㌻)
と御示しのごとく、純粋に法華経を信じ、私心を雑(まじ)えることなく久遠元初(くおんがんじょ)文底の妙法を唱えることが、私たちの唯一の成仏の方途である。
佛所護念会教団という邪教から一人でも多くの人を救うべく、我ら法華講員はより一層の折伏に精進せねばならない。
(大白法 第一一二七号 令和六年六月十六日)