東武野田線、通称アーバンパークラインに乗ると、
ある広告が目に入った。
「笑顔、みせていますか?
感謝、つたえてますか?
参拝、行ってみませんか?」
千葉県野田市に本部を置く新興宗教団体・霊波之光の宣伝広告である。
霊波之光といえば、日本の城郭を思わせる、天守閣ならぬ「天使閣」を思い浮かべる人もいるだろう。
昭和五十年に、この建物が完成するや、
「救いの城・天使閣へ御守護神様に御遷神いただく」(<霊波之光出版局>御書 二七〇㌻)
ということで教祖が居住した。そして、
「求めよ、神の愛を。神の宮城(みやしろ)に来たれ」(同八九㌻)
とまで教え、教団の象徴として、信者の心を向けさせたのである。
どんな宗教?
昭和二十九年、霊波之光は波瀬善雄(はせよしお)の神がかりによって始まった。霊能や憑依(ひょうい)、卜占(ぼくせん)、手かざしなどの通力(つうりき)を打ち出す宗教は少なくないが、霊波之光も同様に、教祖・善雄を「御守護神様」と呼び、その霊能力「霊波」によって人々が救われると説く。
その教えは、
○大宇宙神が人類を救う根源である
○教祖・善雄はその分神・救世主である
○善雄から発せられる「霊波」により病気や不幸が救われる
というものである。
入信することを「御絆(おつながり)」といい、教祖を通して大字宙神と繋(つな)がるという。
そして、教祖の死後は彼瀬家が世襲して教主となり、その霊波を継承することを謳(うた)っている。
真相は闇のなか!?
令和六年八月、教団では「二代様」と崇拝してきた教主が退(しりぞ)いた。
長年にわたり二代目教主を務めたのは、善雄の長男・敬詞(けいじ)である。
これに代わり、「二代様」の長男・敬仁(たかひと)が三代目教主を継承し、すでに四代目教主として義敬(よしたか) (敬仁の長男)が内定しているという。この教主交代と時を同じくして、従来重視されてきた制度や施設が相次いで廃止・解体されている。
例えば、神子(みこ)制度の廃止がある。
一般に神子とは、神に仕える者で、神職の補助などを行う。未婚の女性であることが多く、教団では、支部などに通って奉仕する「通いの神子」、本部で常勤する神子、さらに教主の身近で仕える特別な神子などがあり、一般信者からは「雲の上の存在」と見られてきた。神子は、若い女性信者にとって信仰上の理想像として位置づけられていたそうである。
また、神の宮城だった「天使閣」も解体された。
これらは単なる組織運営上の変更にとどまらず、信仰に関わる事柄である。
そうであるならば、その変更の理由は、どこまでも教義的根拠に基づいて明確に示されるべきであろう。
しかるに、それが十分に説明されないまま廃止・解体されたことは、教義の不確定さと教団の恣意(しい)性を示すものであるといわざるを得ない。
霊波は外道(げどう)
さらに根本的に問題なのは、「霊波」という存在そのものである。
初代教祖は二十一日間の坐禅と断食の末に神の啓示を受け、特別な霊的能力を得たとされる。
すなわち、教祖は自らの心を見つめるなかで迷いの境界に感応し、何も悟っていないのに悟ったと思い上がり、「大宇宙神」なる存在を立てたにすぎない。
日蓮大聖人は『蓮盛抄(れんじょうしょう)』に諸経を引かれ、
「心は是(これ)第一の怨(あだ)なり。此の怨最も悪と為(な)す。 此の怨能(よ)く人を縛(しば)り、送って閻羅(えんら)の処に到る。汝(なんじ)独(ひと)り地獄に焼かれて、悪業の為(ため)に養ふ所の妻子兄弟等親属も救ふこと能(あた)はじ(中略)願ひて心の師と作(な)るとも、心を師とせざれ」(御書 二七㌻))
と、凡夫の迷心を仏とする誤りを厳しく戒められている。
まさに教祖一族に継承される「霊波」こそ、教祖の迷いの心に他ならず、人々を救う力など存在しない。
私たちは、怪(あや)しげな通力に迷う人々に対し、確信を持って正法の道理を示し、御本尊様のもとへ導いてまいろう。
(大白法 第一一七三号 令和8年5月15日)
ある広告が目に入った。
「笑顔、みせていますか?
感謝、つたえてますか?
参拝、行ってみませんか?」
千葉県野田市に本部を置く新興宗教団体・霊波之光の宣伝広告である。
霊波之光といえば、日本の城郭を思わせる、天守閣ならぬ「天使閣」を思い浮かべる人もいるだろう。
昭和五十年に、この建物が完成するや、
「救いの城・天使閣へ御守護神様に御遷神いただく」(<霊波之光出版局>御書 二七〇㌻)
ということで教祖が居住した。そして、
「求めよ、神の愛を。神の宮城(みやしろ)に来たれ」(同八九㌻)
とまで教え、教団の象徴として、信者の心を向けさせたのである。
どんな宗教?
昭和二十九年、霊波之光は波瀬善雄(はせよしお)の神がかりによって始まった。霊能や憑依(ひょうい)、卜占(ぼくせん)、手かざしなどの通力(つうりき)を打ち出す宗教は少なくないが、霊波之光も同様に、教祖・善雄を「御守護神様」と呼び、その霊能力「霊波」によって人々が救われると説く。
その教えは、
○大宇宙神が人類を救う根源である
○教祖・善雄はその分神・救世主である
○善雄から発せられる「霊波」により病気や不幸が救われる
というものである。
入信することを「御絆(おつながり)」といい、教祖を通して大字宙神と繋(つな)がるという。
そして、教祖の死後は彼瀬家が世襲して教主となり、その霊波を継承することを謳(うた)っている。
真相は闇のなか!?
令和六年八月、教団では「二代様」と崇拝してきた教主が退(しりぞ)いた。
長年にわたり二代目教主を務めたのは、善雄の長男・敬詞(けいじ)である。
これに代わり、「二代様」の長男・敬仁(たかひと)が三代目教主を継承し、すでに四代目教主として義敬(よしたか) (敬仁の長男)が内定しているという。この教主交代と時を同じくして、従来重視されてきた制度や施設が相次いで廃止・解体されている。
例えば、神子(みこ)制度の廃止がある。
一般に神子とは、神に仕える者で、神職の補助などを行う。未婚の女性であることが多く、教団では、支部などに通って奉仕する「通いの神子」、本部で常勤する神子、さらに教主の身近で仕える特別な神子などがあり、一般信者からは「雲の上の存在」と見られてきた。神子は、若い女性信者にとって信仰上の理想像として位置づけられていたそうである。
また、神の宮城だった「天使閣」も解体された。
これらは単なる組織運営上の変更にとどまらず、信仰に関わる事柄である。
そうであるならば、その変更の理由は、どこまでも教義的根拠に基づいて明確に示されるべきであろう。
しかるに、それが十分に説明されないまま廃止・解体されたことは、教義の不確定さと教団の恣意(しい)性を示すものであるといわざるを得ない。
霊波は外道(げどう)
さらに根本的に問題なのは、「霊波」という存在そのものである。
初代教祖は二十一日間の坐禅と断食の末に神の啓示を受け、特別な霊的能力を得たとされる。
すなわち、教祖は自らの心を見つめるなかで迷いの境界に感応し、何も悟っていないのに悟ったと思い上がり、「大宇宙神」なる存在を立てたにすぎない。
日蓮大聖人は『蓮盛抄(れんじょうしょう)』に諸経を引かれ、
「心は是(これ)第一の怨(あだ)なり。此の怨最も悪と為(な)す。 此の怨能(よ)く人を縛(しば)り、送って閻羅(えんら)の処に到る。汝(なんじ)独(ひと)り地獄に焼かれて、悪業の為(ため)に養ふ所の妻子兄弟等親属も救ふこと能(あた)はじ(中略)願ひて心の師と作(な)るとも、心を師とせざれ」(御書 二七㌻))
と、凡夫の迷心を仏とする誤りを厳しく戒められている。
まさに教祖一族に継承される「霊波」こそ、教祖の迷いの心に他ならず、人々を救う力など存在しない。
私たちは、怪(あや)しげな通力に迷う人々に対し、確信を持って正法の道理を示し、御本尊様のもとへ導いてまいろう。
(大白法 第一一七三号 令和8年5月15日)





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