総本山における御開扉は、日蓮正宗の僧俗が、日蓮大聖人の御法魂(ほうこん)・御法体(ほったい)に在(ましま)す本門戒壇の大御本尊への内拝を願い出、その篤信(とくしん)の志を受けられた御法主上人が大慈悲をもって許されるものなのです。その際、報恩感謝の一念をもって大御本尊に御供養申し上げることは信仰者として当然であり、その部分をとらえて「金儲け」と誹謗するのは当たりません。
浅井甚兵衛・昭衛父子も、かつてはその御慈悲に浴(よく)して御開扉を受けたではありませんか。
現在でも、法華講員の折伏によって顕正会を脱会した人が初めて御開扉を受け歓喜の涙を流した、という実例は少なくありません。
本宗の僧俗が自己の幸福や一生成仏のために願い出る御開扉について、誘法の輩(やから)から「中止せよ」などと言われる筋合いはありません
浅井甚兵衛・昭衛父子も、かつてはその御慈悲に浴(よく)して御開扉を受けたではありませんか。
現在でも、法華講員の折伏によって顕正会を脱会した人が初めて御開扉を受け歓喜の涙を流した、という実例は少なくありません。
本宗の僧俗が自己の幸福や一生成仏のために願い出る御開扉について、誘法の輩(やから)から「中止せよ」などと言われる筋合いはありません